「アートを使う」ことは「アートを民主化」すること

CC BY Karin Dalziel on Flickr
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今回の『Counter Void』の再点灯も含めたRelight Projectのはじまりは、2013年7月の【プロジェクト構想プログラム−「光の蘇生」プロジェクトを構想する】がこの一連のプロジェクトがきっかけとなっている。

当初、作品の再点灯について点灯する理由が見当たらなかった、と宮島氏は話していた。震災をきっかけに作品が作れなかったと話す宮島氏は、アーティストとして表現が何かできるか、消灯してしまった作品のぜひと向き合うなかで、作品の再点灯含めた作品のあり方を作家から他者に委ね、プロジェクトに集まった人たちで点けるかどうかの議論を一緒に考えようとするプロジェクトをスタートさせた。どう点灯させるか、そもそもとして点灯させるべきなのかどうか、それすらを市井に委ね、Counter Voidをきっかけに議論やアクションを促そうと考えたのだ。

これは、宮島氏が以前から提唱していた「Art in You」を体現する一つの形にもつながる。「Art in You」は「主体はあなたであり、あなたの心の中にアート的なものが開くかどうか。それは、アートの作品それ自体よりも、それを見た人がどう反応するかだ」(2008.4 TOKYO ART BEATから要約)と話し、「Art in You」をキーワードに誰もがアーティストであり、アートの作品を愛でるのではなく「アートを使う」ように呼びかけている。

今回のRelight Projectにおいても、「作品を使い倒してほしい」と当初から語っており、自身もRelight Projectの一メンバーとして、Relight Committeeのメンバーともに並列の立場でいようとした。「自分を親とすると『Counter Void』は娘であり、嫁いだ娘を見守る気持ち。嫁ぎ先のお婿さんに対して意見はするものの、主導権は自分にはない。だからこそ、親冥利につきるようなことをやってほしい」と、都度ごとに宮島氏は話している。そこには、『Counter Void』は、すでに作品の所有権はテレビ朝日にあるなかで、作品の生殺与奪は作家にはなく、その上でこの作品を「使い倒す」ためにRelight Committeeによって、作品の点灯の有無や作品を引用しながらそれぞれの表現に使って欲しい、というあり方を表現している。

しかしながら、日本において「アートを使う」という考え自体と向き合うことはなかなか少ない。Relight Committeeのメンバーも、当初は「作家・宮島達男」という存在を意識せずにはいられず、作家の作家性と自分たちがもつ自由さの狭間で、Relight Committeeのそれぞれの作品作りにおいてもさまざまな紆余曲折があった。

このプロジェクトを通して「アートを使う」とはなにかを改めて考えさせられた。作品の作家性をそこに留めるのではなく、広く多くの人たちに触れてもらい、使い倒してもらおうとする。Relight Projectも、そうしたアートを切り口したプラットフォームを目指し取り組んできた。
このプロジェクトが取り組もうとしたことは、既存のアートシーンやアートマーケットというこれまでのシステムから逸脱し、一部の人たちだけが享受するアートではなく、誰もが享受し、かつ表現者となれる、「アートの民主化」と呼べるような、アートを誰もがもつ可能性を追求する手段として見ようとするものだ。
こうした民主化の動きは、近年の潮流においても一つの転換期といえる。その要素として、テクノロジーの発展、インターネットの浸透は大きな意味を持つ。ソーシャルメディアによるメディアの民主化、ネット発で著名なミュージシャンやイラストレーターをこれまで多く生み出してきた。個々人の発信や表現を拡張させるツールとして、テクノロジーの恩恵は既得権益よりも名も無き一人の個人の力を拡張させ、強烈な個性、意志をもとに人を巻き込み、新たなムーブメントや市場をつくりだした。インターネットは、それまでの現実世界だけでなくウェブ上の新たな社会を築き、既存の社会とは違った文化を築き上げるようになった。そこには、デジタルを主軸とした新たな思想が生まれ始めるようになった。

Relight Session vol.3のゲストとして登壇した、情報学研究者のドミニク・チェン氏が理事を勤めている「クリエイティブ・コモンズ(以下、CC)」の活動は、インターネット時代における新たなクリエイティブのあり方を模索していくなかで、著作権というこれまでの規制の枠組みを組みか得、自分たちで作品のあり方を設計しようとするデザイン的な思考がそこにはある。

さまざまな作品同士が互いにマッシュアップされ、日々新たな創作物が生まれる「フリーカルチャー」は、インターネットが浸透した時代に生きるわたしたちに可能になった、「新しい創作と共有」の文化を推進する運動の総称でもある。ここでいう「フリー」とは「自由」を意味する「フリー」であり、作者や主体が権利を囲い込むのではなく、使い手に開放し、自由を与えようとする思想哲学だ。

フリーソフトウェアの概念において、オープンソースをもとに開発者がさまざまなサービスが生み出されている。近年では、開発プラットフォームのGitHubは開発ソースを公開し、そのソースコードをフォーク(引用)してカスタマイズすることができる。誰がフォークし、どのようにフォークされた作品が使われているのか、参照元をたどるトレーサビリティの仕組みをもとに、そのエコシステムを通じて有形無形の恩恵を開発者たちは得ることができる時代となっている。そこには、知識や経験、ノウハウを共有し続けることで、開発者自身にとっても、それを引用する開発者にとっても学びとなっている。

ドミニク氏が執筆した『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック−クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』は、そうした時代のなかで育まれた共有をもとに創造の種を発芽させるヒントとなる一冊だ。さらに、2012年出版当時は、購入者特典として無期限でCCライセンスで書籍PDF版をダウンロードできるようにし、2014年6月には刊行から3年目を迎えたタイミングで誰でも書籍PDF版を無償でダウンロードできる仕組みを採用している。知識を積極的に共有することで、書籍の売上という単純な経済効果だけではない、書籍自体のPRやその書籍を活用したさまざまな発展の可能性を秘めている。

CCとは、こうした主体をもちながら一部の権利を自由にする発想だ。インターネットによって、クリエイターはユーザーと直接的につながったり、ウェブ上でコミュニケーションする場が作られるようになった。あらゆるものがデジタル化される世界において、データの共有やコピペも容易になってしまうことでの問題もはらんでいる。そこで、作品の著作者が権利を保持しながら作品の特性などをもとに、何をオープンにし、何をオープンにしないかを考え、ライセンスを変えていく。

漫画家の佐藤秀峰氏が描いた『ブラックジャックによろしく』は、作品にCCを付与して積極的に作品を開放している。作品自体の認知も広まり、結果として作品の売上は向上することに。一つの社会実験として行われたこうした取組みは、現代における作品のあり方に「問い」を立てる一つの試みでもある。

著作権を自身の手でデザインしていくことで、より作品を多くの人に見てもらったり、作品をきっかけに別のクリエイターの創作のきっかけになったりする。ときには、作品の浸透によって新たな発見や利用方法を見出し、作家の手を離れてさまざまな広がりを見せることもある。そこにある作品で完結したり作品として囲い込んだりするのではなく、その作品を軸に使う側の人たちの創造力をもとに新たな発展や活用方法の可能性を見出す。それにより、作品自体がより広く多くの人たちに触れる機会をつくり、そこから作品に込めた思いやメッセージが浸透するきっかけにもなる。CCの概念は、インターネットの登場によって生まれたクリエイティブを生み出す新たな思想として広がるようになってきたのだ。

『Counter Void』やその一連のRelight Projectは、リアル空間において作品をもとにRelight Committeとともに作品のマッシュアップを図ろうとした試みだ。作品の主体を作者が保持するのではなく、多くの人に「使う」ようにするオープンさで、アートを民主化し、誰もがアート性をもったアクションをするきっかけを提供する。この一連のプロジェクトは、CC的な要素をプロジェクト全体に盛り込んだ取り組みともいえる。
パブリックアートにおいて、「パブリック」のあり方において誰もが関わる余白を作ること。公共空間において、作品そのものではなく作品を取り巻くアクションすべてを通じて社会への問いかけをするアーティストの一人に、BANKSYがいる。彼のグラフィティのほとんどは、発表と同時にウェブ上に掲載されるため、作品そのものは情報として一瞬にして伝播される。しかし、そこに込めたメッセージはウェブを通じて広がれば広がるほど、社会に対して痛烈なメッセージを刻みこむ。

作品の様子をTwitterやInstagramで投稿するものすべてが彼の作品のメッセージを強く拡散させるものとして機能する。彼の手を離れて、そこに参加する人たち自身が、それぞれの思いやメッセージをもとに作品を投稿する(そこには、ポジもネガも含めて)。ソーシャルメディアで拡散する人々自体も、作品を見て心を動かされ、それをネット上に発信するという一つの「アートを使う」取り組みにも読み替えることができる。2013年10月にNY市内で展開した1ヶ月間の作品発表は、その一連の活動を通してさまざまな社会課題や問いを投げかける試みとなった。

アートがアートだけのものではなく、社会やさまざまな分野と接続しながら、世の中にある「問い」や「疑問」を想起させることで、目の前にある世界を見る解像度を高める装置となる。そうした問いを誰もが持ち、その問いを他者と共有していくことから対話や議論が生まれる。そうした、誰もがアートに関われる余白をつくりだそうとする「態度」が求められている。社会に対して問いを立てることで生まれる、さまざまな可能性を私たち自身が気づくべきなのだと思う。

Originally published at Relight Project Report at Medium on Mar 30, 2016.