アートはこれまで以上に「自由になりたがっている」のかもしれない

再度、消灯した『Counter Void』
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今回のプロジェクトのコアでもあるRelight Committee 。2015年9月28日に行われたキックオフでは、20代から60代までの年齢も職業も違った17名が集まり、多様な人たちとともに点灯に向けた企画をつくりあげてきた。

2015年4月25日の六本木アートナイトの様子

2015年4月25日の六本木アートナイトの様子

Relight Committeeのコミュニティをつくる以前に、Relight Projectは 2015年4月に開催された六本木アートナイトで出展作品として参加し、ワークショップを行っていた。その内容は、消灯している『Counter Void』の壁に「3.11が■している」と表示し、そのブランクされた文字が書かれたシートに個人が思い思いに書き込んでいくというものだ。書いた内容はウェブ上に投稿でき、Relight Projectのウェブには投稿された内容を見ることができる。

時間の経過とともに、それぞれの心の中で変化する考えをその瞬間で言語化する。10人いれば10人それぞれが違った言葉を紡ぎだしている。自分の言葉だけでなく、他者が書いた言葉を読むことで、新たな考えや視点を浮かび上がらせる。これも、社会の側面を個人の意志を表現する一つの形といえる。

アートナイトのワークショップには、40名ものボランティアが参加していた。その40名の中から何名かはRelight Committeeに参加する人もいた。もちろん、プロジェクトから参加する人もいる。「宮島さんの作品が好きだから」「地元が六本木のなかで、なにかまちの活性化に寄与できることはないか」「知り合い経由でプロジェクトを知り、面白そうだと思った」「『Counter Void』が点灯していた時を知っているので、ぜひ再点灯の姿を見てみたい」「尊敬しているデザイナーと一緒に仕事がしてみたいと思ったから」「構想プロジェクトの時から追いかけていたので、最後まで見届けたい」など、『Counter Void』との関わり方や参加の動機も多様だ。

毎月定例で開催されていたRelight Committee。とはいえ、この半年の間に互いに探り探りしながらも、3月11日の再点灯のためにどのようなことをしていけばいいか模索する日々を過ごすことになる。「なぜ点灯するのか」「点灯式にはどういった意味をもたせればいいか」「どう点灯させるか」「自分たちとしてどのような企画をすればいいか」など、話題は尽きない。思いを持ってやりとりをするなかで、互いに折れず、かといって折衷案が生まれるわけでもない。限られた時間と制約のなかで、Relight Committeeとしてできることを考えようとする。

2015年9月28日に行われた第一回目のReliht Committeeの様子

2015年9月28日に行われた第一回目のReliht Committeeの様子

「自分は何がしたいのか」「企画をとおして、自分は何を伝えたいのか」。互いに真剣に、互いが作品と次第に向き合っていくなかで、自分として何ができるかを、自分の言葉で発していく。そのなかで、昼の部、夜の部にわかれ、Memento、Reflectionというテーマをもとに、企画を設計していく。

宮島氏は、朝日新聞のインタビューで「エネルギーやテクノロジーを使ってしまうのは、現代人の『業』のようなもの。そこにどう対峙(たいじ)すべきか。大切なのは、節度を守ることだと思う。ふたつを使って表現をする以上、それを強く、心にとめています」(朝日新聞/3.16)と答えていた。
宮島氏のそうした考えをRelight Committeeのメンバーは意図していなかったものの、Relight Committeeの企画は音楽演奏や朗読、本を選びとったり望遠鏡を覗いたりと、エネルギーやテクノロジーというよりも、作品をとおしてうまれる自己と他者との関係性を考えたり、自己と世界とを向き合うものが実施された。なにかしらの定められた作品というよりも、企画をきっかけに他者と関係性を紡ぎながら物事について思いを巡らせる機会を作ろうという意志がそこにはあった。

3月28日に行われたRelight Committeeの最終日では、それぞれがここまでやってきたモチベーションについて語られたなか、「メンバーとの出会いがあったから」「メンバーが互いに認め合いながらそれぞれが良いものにしていこうとする空気があった」「みんなが受け入れてくれた」「互いに違ったがゆえの未知なもので生まれるエネルギーがあった」「このコミュニティで経験した自分の感覚を企画で伝えたかった」などと語り合っていたことからも、点灯そのものだけでなく、Relight Committee内で生まれたコミュニティや人とのつながりのなかから自然に浮き上がった企画であるように思える。

たった1日のプログラムであったとしても、自己と社会とで向き合うなかで、公共空間において関係性を考えさせる企画をやったという事実、そこに込めた思いを自分なりに言語化し、伝えていくことがまた別の表現への源泉となったり、その思いに共感したり違った考えを持ったりする人がでてくるかもしれない。アーティストとは世の中に対して問いを投げかける人であり、今回のRelight Daysを通してRelight Committeeのメンバーそれぞれがアーティストとして振る舞いを見せた瞬間でもある。かれらが、今度どのような振る舞いや言説をしていくのか。このプロジェクトをきっかけにして新しい一面や視点をもって日々の生活や仕事に打ち込んでいく。そこには、いままでとは違う、一人の小さなアーティストとしての姿がそこにはある。

当初の構想プロジェクトにおいて、ゲストで登壇した哲学者の鷲田清一氏は、「アートにしかできないことが2つある」と話している。

ひとつ目は、アートならではの手法の可能性について。ある事業を進める時に、普通は目的を設定し、段取りを組み、行動を決めていきます。しかし、アーティストはときに最終目的が無いまま、むずむずする感触に従って動き出します。周りを巻き込みながら試行錯誤していくうちに、「これ以外の作品は有り得ない」と思えてしまうような作品ができあがります。ひょっとしたら、そのような手法が、パブリックに自分たちの活動を作っていく、これからの社会のあり方を提示しているのではないかということ。

もうひとつは、パブリック(市民社会)におけるアートのあり方について。これまでのコミュニティは、目的、利害、理念や価値観など、共通のものを持つ人々で形成されていました。しかし、これからのパブリックというのは、それらがずれている人同志でもそれぞれを認めて一緒にやっていきましょうということであって、何の理念も共有してない人とやることを楽しんでしまうことのできるアートは、まさに必要なものではないかということ。(第2回公開講座:芸術の賞味期限 ―「修復」や「所有」から考える芸術の存在論レポートから引用)

Relight Committeeでも、互いの考えや認識の違いを受け止めながら、いかに一緒に共存できるかを模索していきながら最終的な企画として落ち着いた。もちろんその過程は簡単なものではなく、手間のかかるやりとりも多い。けれども、それは逆にいえば手間を惜しまずに互いに向き合いながら作り上げたことで生まれた企画の強度でもある。そこに込めた思いを凝縮させていくことで強度が増し、その想いが作品を見た人や周囲に次第に伝搬していく。

今回のRelight Projectは、作品の所有者であるテレビ朝日としての要望や制約もあり、必ずしもRelight Committeeのメンバーたちがやりたいことがすべてできたわけではない。しかし、アウトプットそのものよりもそこに至る過程、アートを民主化しようとする意志のもとできうる取り組みをやろうとする心意気を感じさせられた。プロセスを通じて、そこに関わる人たち自身が考え、問いを持ちそして行動する。作者と鑑賞者、作品とそれ以外といういままでの境界が溶け出し、そこから人々をアート的なるものへ駆り出す。そこに、誰もが「アートを使う」姿が見えてくる。

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一連の活動を取り巻く周囲に目を向けたとき、批評や言論の空間が成熟していないことも痛感した。例えば、『Counter Void』を2011年3月13日に消灯したという事実に対して、メディアを通じた情報発信や批評を見つけることが難しかった。あえて「消灯」したという行為の意味を問うことを、怠っていた批評側の乏しさを感じる。今回の再点灯の活動やプロジェクトに関して、多くのメディアや報道、ウェブメディアでの取材もあったが、そちらが際立つほどに、2011年3月13日当時の消灯時にその行為が言及されなかったことがより浮き彫りになる。

小さなアクションであっても、そこには意味が存在する。宮島氏の行動も、それが知られなければ意味はない。「消灯」したという行為を問うことなく、長い時間が過ぎてしまったがゆえに、あえて「消灯」していることの意味がだんだんと薄らいできた。時間とともに忘却されていくものごとに対して、ジャーナリズムが見つめていくこと、その行為の意味を問う批評の必要性を改めて私自身は考えるようになった。

巨大なパブリックアートの作品が消灯していること、本来の作品の意味を発信できていない状況になっていることは、その都市に対してもなにかしたらの影響を及ぼしているはず。今回のRelight Projectでは、5年という歳月とともに作品の意味の変化や周囲の環境、作品を鑑賞する私たち自身に対してさまざまな問いを投げかけるきっかけとなった。小さな変化に対してきちんと反応し、その意味を問おうとすることを、私やメディアに関わるすべての人にとっても改めて向き合わなければいけない。

私たちの周囲にあるなにげないモノやコトも、そこにはそれぞれ意味がある。その意味と向かい合い、問いを投げかけ、そこから社会のあり方を考える。言論というコミュニケーションだからこそできることはなにか。アートだけでなく、社会のあり方をこれから考える上でも、批評する側のあり方も問われているように思える。

再度、消灯した『Counter Void』

再度、消灯した『Counter Void』

このRelight Projectもいまだ発展途中であり、プロジェクトが成功したのか失敗したのか、すらまだわからない。このプロジェクトに関わったすべての人たちが考え、行動し、ある時点から振り返ったときにこのプロジェクトの価値が浮き彫りになってくる。社会との関係性のなかから、プロジェクトの意味やアートのあり方を常に捉え続けながら変化し続けていく。

『Counter Void』の今後も、この六本木という場所に永続的に残るという保証もない。作品の所有権自体はテレビ朝日が保有していることからも、作品の行方は他者に握られており、作家自身や私たちがどうすることもできない。六本木や東京の再開発という巨大な渦の中心にある『Counter Void』がどう在り続けるのか、逆にどうなくなっていくのか。その姿の変容とそのアーカイブのされ方を、これからも注力していかなければいけない。

一方、写真やネット上では今回の3日間という点灯を通じて、TwitterやFacebook、Instagramなどで数多くの投稿がなされ、投稿者それぞれが思い思いに考えや作品についての感想を述べながら投稿していた。Insagtram上のハッシュタグ(#countervoid)を追いかけると、いまだ点灯していたときのCounter Voidの姿がありありと映しだされ、思い思いのコメントとともにアーカイブされている。点灯時の様子をいまも映し出すそのあり方が、作品の行方を問い続ける姿でもある。その姿すら、もはや作品や作者の手を離れ、ウェブ上でさまざまな形で「使われる」一つの素材として残り続ける。

アートとは、一人ひとりが生きてきたその時、その時代における社会や人とのつながりから紡ぎだされた文化であり、その痕跡でもある。そのアウトプットの形はさまざまだ。そこにたしかに存在していた「何か」を表現する行為であり、その時、その場所、その時代に行われた行為の意味を問いだす。

アートを鑑賞するにとどまらず、積極的にアートを「使おう」とすること、パブリックな場において、私的な思考を表現しようとすることから、都市や他者との関係を導き出そうとするあり方は、これまで以上にアートのあり方を拡張しようとする一連の取り組みでもある。

インターネットによって情報空間が大きく変容し、スチュワート・ブランド氏が「情報は自由になりたがっている」と語っているように、アートもそうした技術の変化とともに変化する社会のあり方に影響を受けながらその姿を変えようとしている。そうしたとき、いままでのアートのあり方よりも、より自由に、そして民主化された存在になっていくかもしれない。それはつまり、「アートも自由になりたがっている」と語れるかどうか。現代に生きている私たち自身が向き合い、問い続けるべきテーマであると同時に、「アート」という言葉自体の意味を問い直す一つのきっかけなのかもしれない。

Originally published at Relight Project Report at Medium on Mar 31, 2016.