寺社のあるまちを抱いて

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先日、OVER THE MOUNTAINの加藤さんにお誘いいただき、拠点である松陰神社商店街を案内してもらった。加藤さんは、山梨の甲府と松陰神社の二拠点で活動している編集者。共通の話題などが似てて意気投合したことがきっかけで、オフィスにお邪魔しに行くことになった。

創業明治45年のニコラス精養堂やメルシーベイク、ノストスブックス、地元の精肉屋のコロッケ、ランチではIndian canteen AMIにて美味しいインド料理をいただくなど、商店街の面白いスポットを巡りながら、仕事の話や色んな話で盛り上がった。商店街を歩いてて印象的だったのは、いくつもの雀荘や小規模なカラオケスナックがあることだ。繁盛してるのだろうか。

商店街を歩いていくと、すぐに松陰神社にたどり着いた。松陰神社は、名前の由来の通り、吉田松陰のお墓とともにその門人らを祭神とする神社だ。

商店街の通りから参道までがまっすぐ伸びていて、それでいて神社も仰々しくない形で佇んでいる。なので、商店街から歩いて、そのまま神社に参拝する行為が日常的な風景としてそこにはある。

こうした偉人のお墓だけでなく、日常的に寺社やお墓がある風景は、都市においてなかなか少なくなってきた。社会的な機能をできるだけ外部に委託することで、効率的な環境を築いていた歴史がある。

しかし、お墓や寺社の歴史を紐解けば、そこには村や地域としての歴史が存在し、同時に、多様な世代を持った人たちが集う機会でもあった。そのなかで、やはりお墓というものは、死や老いといったものを人が内包していることを再認識されるものでもある。死を想い、死が日常的に潜んでいることを身体知として体験することの意味もある。日常的に、日々の暮らしのなかにそうしたものが入ってくることで、私たちは気づかないうちに弔いや死者を想う気持ちが芽生えてくる。

ふと思ったのは、お墓のあるまちは、そこには見えない価値としての地域コミュニティがあるのかもしれない。他者を想い、他者とつながり、そこで社会を形成する。そのつなぎ役として、寺社やお墓などがその見えない役割をつくりだす。應典院の秋田さんとも以前お話したときに、お寺がもたらす公共性について議論させてもらったが、まさにそうしたこととも結びついていくのだろう。

死亡率100%。人間、いつか死ぬ定めからは逃れられない。そうしたことを身体知として学びながら、ものごとの栄枯盛衰を感じさせることから、さまざまなものを次世代に継承するための精神性が出てくるのだろう。

その地域が地域として豊かな暮らしを営むために、寺社やお墓からそのまちをみてみるといいかもしれない。

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