ダイヤモンドの自衛隊記事と、自分の生き方

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少し前ですが、縁あってダイヤモンド・オンラインで、かつて所属していた自衛隊の部隊について書かせていただきました。

「領土を守る」とき、何が起こるのか 西部方面普通科連隊元隊員の証言|どう中国と付き合うか 反日暴動から1年、平和友好条約締結から35年|ダイヤモンド・オンライン http://diamond.jp/articles/-/43705

内容は、日中関係に関する連載の一記事で、僕以外の書き手の方々は、防衛省の方や日中関係の専門家などが記事を書いています。そうした中、現場で勤務していた隊員としての証言ということで、たまたま別の仕事でご紹介いただいたダイヤモンド・オンラインの編集部の方からお話がきて、書くこととなりました。実際に自衛隊が動くということがどういったことか、また、現場で勤務している人たちの考え方や思考について、経験したことをもとに書いてほしい、ということでした。かつて所属していた部隊が、自衛隊の中でもたまたま特殊な場所でもあったため、その部隊のことも踏まえながら書いています。

自衛隊という存在自体は知っていても、実際にどういう仕事をしているのかを知る機会ってなかなかありませんし、いろんな方々がそれぞれに固定概念を持っていこともしばしばあります。けれども、記事の中にも書いていますが、自衛隊に所属している人もただの人で、たまたま自衛隊という職場に入った人も多いのが現実です。もちろん、書いた内容は書ける範囲の中でしか書けないため、詳細などは省いています。また、文字数の関係などから端折っている部分もありますが、大きな狙いや伝えたいことは、自衛隊に所属している人が、どのような思いで過ごしているのか、ということを知ってもらいたいというものですので、そのあたりはご了承いただければと思います。

こんな記事を書いていますが、もともと自衛隊は就職の滑り止めで入ったというのが正直な話です。もっと言えば、高校時代はほとんど学校に通っておらず、うろうろしてばかりでした。公立の進学校に通っていたのですが、周りが勉強ばかりしていることに対して違和感を覚え、大学行くくらいから早く働きたいなと考えていました。その中で、なんとなくですが社会の役に立てる仕事がいいな(高校生なのに自分の人生をまったく考えていない典型的なダメ人間ですね)というある意味で安直な考えから、警察や消防に入ろうと決意し、すべり止めというか公務員試験を勉強してる時にそこで始めて自衛隊の試験の存在を知り、願書を出してみたら試験に合格した、という流れなのです。

そもそも、どういう組織なのかとかあまり調べずに入ったので、当初は全然よく分からないまま未知の領域に放り投げられたような感じでした。けれども、最初に入る前期教育隊での生活を通じて、また面白い同期と過ごしながらまずは目の前で自分が求められていることを懸命にやろう、同期たちには負けたくないという負けず嫌い根性も発揮して、前期教育時代には筆記試験や体力試験、服務面や射撃試験やその他総合面の判断の結果、西普連という部隊に配属になった、という経緯でした。

時代の流れの中で、ちょうど東ティモールのPKO派遣やイラクへの派遣などがまさに行なわれる時に所属していたこともあり、そこで始めて「社会」と「自分」という動きを明確に感じることが今の自分の大きな出来事でもありました。それまで、漠然と「社会とは〜」みたいなことを考えていたのが、世界的にも大きな規模で動く社会情勢の当事者として自分が立った時に、始めて自分がどのように社会にとって意味のある存在なのか、ということを考えるようになったのです。災害派遣やイラク派遣、そして自分がいた部隊の特性上、日々の過酷な訓練の中で見出す自衛隊というものの存在の意義などを深く考える中、本当に自分が世の中において意味のある存在なのか、自分はどのように社会に役に立てる人間になれるのだろうかと考えた結果、自分の実力の無さ、そして始めてそこで自分の無知を知り、「考えるということ」「学ぶということ」の重要性を認識したのです。

そこで、自衛隊を辞め、裸一貫で何もない自分としてリセットした上で、大学という場所で勉学を学び、そしてそこから社会の中における自分と社会の関係を見つめなおし、どう生きていくのかを決めていきたいという思いで約半年くらいの短い時間の中で、予備校に通い中学校レベルの知識だったのをセンター受験までできるようにがむしゃらに勉強し、そして東京の大学に進学することができ、そしていまに至る流れへとなっていくのです。東京に来てからの流れは、最近ではインタビューなどでも話をしていますが、このあたりの詳細もいつかブログに書きたいと思います。

そうした意味で、自衛隊に入ったあとにそこで経験したことや考えたことがきっかけで、今の自分の生き方を決める大きな原体験を経験することができたのは大きなことでした。だからこそ、こうして書く機会があったこのタイミングで、色々と当時のことを振り返りながらしっかりと書こうと決めて書かせてもらいました。おそらく、初めてこうしてきちんと自衛隊のことについて書きましたし、書いたことでいろんな方からもコメントやメッセージをいただきました。自分の経験を通じて、自衛隊のことなどを考えるきっかけに少しでもなったのからいいな、と思っています。

やはり、自分がかつて所属していた職場というのは今でも愛着がありますし、今もなお働いている同期や先輩、後輩たちにはリスペクトしています。日々、黙々と任務をこなしている人たちがいるということ、自分たちが普段意識しないところで国や社会について考え、行動している人たちが陰でいるということを知ってももらいたいですね。

社会の中で、自分が生きているという実感を持つことって、なかなかありません。それが、会社に入ったり結婚したり選挙に行ったり自分で会社を作ったりすることで、初めて社会というものの存在、国というもののあり方などを考えるようになってくると思います。僕は、本当にたまたま自衛隊という一つの職場に入ったことがきっかけで、社会と自分との関係性を肌で感じ、そして、自分がどう社会にとって意味のある行動をすることができるのか、ということを考えるようになりました。

この、ちょうど22歳での自衛隊を辞めた時から大学受験、そして進学という時期において、自分という存在は、ある種の断絶が起きていると考えています。それまで生きてきた経験がまったく通じない、場合によっては社会に必要な知識やスキル、考え方というものをまさにゼロから積み重ねてくその第一歩の時期でした。つまり、22歳のから、僕の人生が始まったといっても過言ではありません。今の自分を構築している考え方や知識のほとんどは、この数年で培ったり経験したものです。考えてみれば、自分の人生において人生がほとんどつながっていない状態があるということは、ある意味で生まれ変わったものと同義です。過去の友人やつながりがほとんどないからこそ、自分が見聞きするものすべてが新鮮に感じられ、研ぎ澄まされた感覚と好奇心から、すべてを吸収しようと行動するようになっていたのでした。

今の自分の大きな生き方は、「社会をいかに良くし、アップデートさせる仕組み作りをするか」がテーマです。その中において、テクノロジーやデザイン、メディアといったさまざまなツールや場を通じて、それらを複合的に、有機的に、そして立体的に組み合わせながら、新しい価値観や未来の社会にとって必要となりうる原石を作り出すか、ということを実験したり方向性を示したりという意識を持って歩んでいます。

すべてが遅咲き、遅いスタートな自分にとって、今から何かの専門家になろうとしても勝てるわけもない、という意味では日々劣等感を持って過ごしています。なぜから、周りを見れば自分よりも優秀な人間なんて山ほどいるのだから。だからこそ、自分しかできない新しいポジションや動き方を作るために、ある種のジェネラリスト的な動き方になっているのかもしれません。あらゆる分野を知り、本質を掴んだ上でどう再構築するか。さまざまな分野のプロフェッショナルな人たちの一挙手一投足を見ながら、良いものを貪欲に盗んでいこうという気概を持ってやっています。

肩書なども表現も、なかなか難しいものだとは思っていますが、コンテンツやコミュニティ、大きな意味では社会全体を編集し、再構築したり再定義する、というようなことだと思っています。だからこそ、そうした専門家やスペシャリスト、才能を持った人たちとともに、いかにこれからの社会を作り上げ、誰もがよりよい生活や暮らしを送ることができるのか、を探求していきたい、ただそれだけなのです。自分がどんな仕事やどんなポジションになろうとも、あまり関係ありません。大事なのは、いかに周りの人たちや社会がより良いものになっているかという飽くなき探究心だけなのです。だからこそ、必要であれば自分が前にも出るし、後ろに下がってマネージメントなことも、雑用もすべてやれる。誰もが率先してやらないこと、でもそれは必要なことや存在があるのであれば、僕は喜んでそこに行きましょう。

今の活動でも、政治や行政の人たちとコミュニケーションをし、仕組みから変えていこうとするプレイヤーは多くはありません。しかし、誰かがやらないといけないのです。テクノロジーとデザインをどう組み合わせるか、テクノロジーやデザインを、どうソーシャルデザインに組み込んでいくかなどを、領域を横断しながらそれぞれの良いものを引き出し、組み合わせることこそが、僕なりの編集でもあるし、それが社会にとって価値のあるものだと信じています。行為すべては手段であり、アウトプットの方法も時と場合によって変わっていくものです。だからこそ、今自分がいる領域からすぐに違った領域へと行動することもできるし、イノベーションを起こそうと動くことが大切だと常に考えています。自分の足元や中途半端なポジションやプライドなんかを持つことよりも、いかに自分が活かせる場を作るかのほうが大事なのです。

問題解決の手助けをし、そしてこれからの未来を一緒に考えていく仲間とともに日々を過ごしていく。そんなことが、やっと少しづつできていけるようになってきました。東京に来て6年くらいがたち、やっと物事や社会について少しづつ知ってきたような気がします。6年前には友だち一人、何も知識も経験のなかった若造が、こうして色々な活動ができるもの、これまでお世話になったみなさんのおかげでもあります。これまでの出会いに感謝しつつ、これからもともに頑張っていきましょう。

また、今回のダイヤモンド・オンラインの記事の機会を作ってくださった方にも、色々とこれまでを振り返りながら書かせてもらうことができました。ありがとうございます。こうした自衛隊話というのは、普段は防衛の専門家ではないため、機会がない限りは書くことも話すこともないかもですが、もし何か必要な方は、気軽にお声がけください。

最後に、記事内でも書いている西部方面普通科連隊のことを描いた書籍があります。杉山隆男さんというノンフィクション作家の方が書かれた本です。この本がちょうど取材されている時に僕は在籍していたので、僕の先輩や上司の名前がでてきたります。記事で興味もった人は、読むとさらに理解できるんじゃないかなと思います。

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