メディアやジャーナリズムの可能性をもっと議論する場であってほしかった #未来メディア

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来たよ #未来メディア

5月12日に、朝日新聞主催の「MITメディアラボ×朝日新聞シンポジウム メディアが未来を変えるには〜伝える技術、伝わる力〜」が開催された。

すでに、いくつかのメディアやブロガーの方々がシンポジウムの内容については触れているように、デジタルにおける表現技術やデジタルにおける手法、データ分析の重要性など、メディアに関する技術の進歩と、それらの環境においてメディアやジャーナリズムがどのように機能していくべきかといった内容を、プレゼンやパネルディスカッションの中で議論するシンポジウムだった。

ニューヨーク・タイムズのグラフィックエディターのアマンダ・コックス氏は、マリアノ・リベラ投手の全球種データをもとに球筋のビジュアライズ化をした記事や、ストーリーをもとにビジュアライズ化し、体験を伝えるためにインタラクティブなデザインを活用したThe Soaring cost of a simple breath という記事、インタラクティブなコミュニケーションを通じて情報をスケールさせたIntaractive Map:Your Biking Wisdom in 10 Wordsといった記事を紹介した。

他にも、Upshotというデータとグラフィック、テクノロジーを活用することに特化したニュースサイトや、情報を集約し、パーソナライズ化した情報を届けるNYTNowを開発するなど、さまざまな試みを通じてメディアのあり方を示す取り組みを行っていることを、伝統あるメディア企業としての誇りとクオリティをもとに作り上げようとしているのが実感できたプレゼンだった。

2005年に設立し、先日9周年を迎えたザ・ハフィントン・ポストのプロダクト部門統括責任者であるニコ・ピットニー氏は、ウェブを中心としたオンラインメディアのニュースアグリゲーターとしてさまざまな分野を横断して情報を発信している取り組みと、メディアとしてのマネタイズやメディアベンチャーらしいアジャイルな開発をもとにしたメディア事業のあり方についてのプレゼンがなされた。

ニコ氏は、編集者は新しい技術をもとに読者にコンテンツを届けることの重要性や、アルゴリズムと人的編集によるミックスを通じてコンテンツの質を向上させることを話した。読者の参加を促し、コメントやSNSのコメントなどをもとにコンテンツを作り上げることや、パーマリンクをもとに情報の元ソースへの誘導を図り、自前主義ではなく積極的に外部と関わりながらユーザーに情報を届けていくことが大切だと語った。

こうした、プレゼンを踏まえたのちに、パネルトークへと移り、モデレーターに朝日新聞の西村陽一氏が登壇し、参加者やSNSでシンポジウムに参加している人たちからもTwitterのハッシュタグを通じて質疑応答の時間を長めにとった場となった。

パネルトークの内容は、
「MIT×朝日新聞」で語られたメディアの未来その1 #未来メディア – Togetterまとめ
上記のツイートまとめや
スター記者の独立、データジャーナリズム、アドボカシー、エンゲージメント、モバイル・・・「未来を変えるメディア」への道しるべとは?  | デジタル・エディターズ・ノート | 現代ビジネス [講談社]
現代ビジネスのこの記事などが網羅しているのでそちらを読んでもらいたい。

また、伊藤穰一氏のプレゼンは、
データジャーナリズム最新事例とこれからの民主主義 MITメディアラボ所長・伊藤穰一氏が語る【全文】
ハフィントン・ポストが内容をまとめている。

社会におけるメディア、ジャーナリズムのあり方を再考する
さて、シンポジウムの概要を踏まえた上で感じたことなのだが、朝日新聞が今後どういったジャーナリズムを目指したいのか、タイトルにある“メディアが未来を変えるには”ということが、あまりつかめなかったイベントであったように思える。

社会が変化してくる中で、ジャーナリズムが社会においてどのような機能を果たすのか、そうした変化において、朝日新聞はどのようなスタンスにおいて行動してくのか、それらも含めてメディアの振舞い、ジャーナリズムのあるべき姿は、ということを議論して欲しかった、と考えている。正直言えば、事例の紹介などは、ブログや記事などである程度網羅できるものであって、それよりも思想や哲学を議論しながら、未来はどうあるべきか、を参加者も踏まえて考えてほしかったと思っている。

たしかに、サブタイトルである“伝える技術、伝わる力”というもののとおり、データを活用したりビジュアライズ化をすることで、読者に情報を伝えやすくすることはあるかもしれない。しかし、データやビジュアライズというのは伝えるための手段であり、技術という名の通りである。その先に、伝えたことによって、読者にどのような感動や共感、アクション、考え方の変化などを促すか、ということをどれだけ考えられるのかを常に考えなければならない。

伊藤穰一氏のプレゼンの中で、「ソーシャルメディアの発達や双方向性が生まれてきたことで、Network Public Sphere(ネットワーク化された公共圏)が生まれてきており、メディアと国民が一緒になって参加型民主主義が生まれてくる」というような言及をしていた。伊藤氏のプレゼンは、SafeCastの活動を例にあげるように、個人から発信した取り組みが、社会に対して大きな影響を与えるようなものになっており、誰もが社会に参画できる環境とツールが整っていることを示した。

これから社会において、民主主義をどのように機能させるか、そのためにジャーナリズムが何ができるか、情報を伝えるということの先に、読者に社会における発見や感動を伝え、民主主義を豊かにする手段として、データジャーナリズムを捉えていくべきでは、という話こそが、伊藤氏が伝えたいものではなかったか。

いきすぎた扇動は、アクティビズムになる可能性もあるからこそ、ジャーナリズムはできるだけ中立的な立場をもとうと努力することは大切だ。しかし、当たり前だが人が介入してる時点ですべてを網羅することも、客観性を完全に担保することはできない、時にデマゴーグにもかる可能性はある、という認識を持った上で、努力していこうとする姿勢をもちながら、国民に対して社会で起きている出来事やその経緯を伝え、それによって国民が自発的に考え行動するきっかけや情報を与えていく。そのために、ジャーナリズムとしての挟持を持って行動し続ける、ということがメディアに求められるはずだ。

パネルディスカッションにおいても、「読者とのエンゲージメントをどう考えていくか」という問いがあったが、まさに、そこをもっと深堀りした議論を聞きたかった。アマンダ女史も、「ニュースを読んだ読者の人生にどう影響を与えるか、友人とシェアしたり会話のネタになったりしながら、媒体を購読したいと思ってもらえるか」ということを言及していた。普段の会話の中で、ニュースの情報をもとに社会課題や時事問題が気軽にコミュニケーションでき、それをもとに自分たちで社会に対してどう関与していくか、ということを促すことを示唆している。

情報を伝えたあとのことを朝日新聞社がどこまで考えているのか、朝日新聞としてどういったエンゲージメントを目指したいのかが明らかにならないままであった。いや、もしかしたらそのあたりはすでに朝日新聞の方々のほとんどはわかっており、朝日新聞としてのジャーナリズムが目指すべき方向というのは理解された前提でのイベントだったのかもしれない。そうであれば、僕個人の理解不足でしかないので、不勉強極まりない。

質な言論空間、を示す指標とは何か
エンゲージメントを考えた時に、PVやUUだけが指標とはいえない。ハフィントン・ポスト日本版を立ち上げた時に、ウェブ上における上質な言論空間を作っていく、ということを目標に掲げていたはずだ。編集主幹として就任した長野智子氏も、ネット上における言論空間や、米国と日本のニュースメディアに対しての接し方の違いからくる、メディアリテラシーについて言及していたことも記憶に新しい。

シンポジウム冒頭で、代表の木村伊量氏がこの1年間で取り組んでいた事例として、データジャーナリズムの取り組みとしてソチオリンピックの浅田真央選手の「ラストダンス」や、データジャーナリズムハッカソンを企画した、ということなどと並行して、ハフィントン・ポスト日本版の開設にも言及していた。しかし、「一年でUUが1000万になりました」といったことしか言及されなかったのはなんとも言いがたいものだ。

当初掲げていた「良質な言論空間」というものを見出すために、日々のハフィントン・ポストでこんなコメントが行われている、言論空間を作りあげ、新しいジャーナリズムが生まれ始めている、といったことも言及してほしかった、と個人的には思っている。これからの言論空間のあり方などにも、木村氏やパネルディスカッションでハフィントン・ポストジャパンの代表取締役を務めている西村陽一氏がもっと言及してほしいところでもあった。

「最先端のメディア」というものはあるのだろうか
メディアのあり方ということも考えた時に、ニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポストが取り組んでいることはたしかに新しいかもしれないし、次のメディアの可能性を占める形かもしれない。しかし、それは選択肢の1つであり、必ずしもこれがすべて、これが絶対的な解、ではないはずだ。

それぞれの国の事情、国におけるメディアとの関係、民主主義の醸成具合、国民のメディアリテラシーなどに応じて、メディアのあり方は変わってくるはずだ。しかし、パネルディスカッションにおける西村氏が節々で語る「最先端のメディアであるニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポスト〜」といった表現を聞くと、彼らこそがメディアという業界におけるトップランナーとして、まさに最先端を走っているものだ、という認識だというように聞こえるが、果たして「最先端」と言い切れるほどメディアは単一的なものなのだろうか。メディアやジャーナリズムという形は、もっと多様なものであるという可能性を自分たちで狭めたり、自分たちは遅れている、という意識がどこかにあるのだろうか。

それこそ、新しい単語、特に海外から考えられたであろう概念や取り組みをさも新しいものとして飛びつき、すべての関係者はその新しいものを覚えなければいけない、とった盲目的な意識としての発言にすら聞こえる。もちろん、手段の1つとして、そしてそれがその国々おいてどれだけの効果やそれまでにない意味を持っているのかを知るかは大事だし、学ぶことは必要だ。しかし、それを「最先端」だと断言する論理はないはずだが、朝日新聞はどのように考えているのだろうか。

データ、ビジュアライズ、プログラミングを活用することは1つのツールであり、木村氏がメディアがどうあるべきか、ということで、データジャーナリズムをやっています、というような目的が手段化するようなことではなく、もっと本質的なことを考えてもらいたいものだ。

なんのために情報発信するのか、昨日今日のことを追いかけるようなものではなく、なぜ、いまこのような現象になっているのかを、過去からひも解きながら国民にどのような情報を伝え、どのような判断を行うべきかという知識を伝え、どのような未来を迎えようとするのかを議論するようにしないといけない。

民主主義を活かす呼び水として、伝え、考えを促すこと。そのために、多様性を享受する意識をもたないと、批評も生み出しにくいのではないだろうか。

メディアの人材流動化を促進させるために
質疑応答の時の、特に最後の質問で「朝日新聞社の社員が振興メディアに移る可能性があるかもしれない」という質問があったが、これまでがあまりに人材の流動性はほとんどなく、マスメディアの業界全体に見受けられるものだ。

外部の人たちともっと連携したり関わりを増やしたりしながら一緒にやっていきたいと木村氏が言及していたが、アマンダ女史などのように、インターンから統計学などを専攻してる学生を引き込んだり、外部のネットメディアで活躍した人を積極的に取り込んだり、逆に社員を積極的に外のメディア、場合によってはメディア以外の業界などへ積極的に人を促したりするような、というものを考えたりするほうがより意味のある戦略ではないだろうか。ある程度外の経験をしてきたプレイヤーを、出戻りで朝日新聞社内の主要ポストに就かせることで、新しい外の知見を組織に活かすことができる可能性もあるはずだ。

多くの企業も、そうした外部交流や人材流動を図りながら、組織のイノベーションを推進しようとしているだから、それらをもっと参考にしてもいい気がする。まだどこかメディアは自前主義な考えがあるのかもしれないが、自前主義からの脱却をしない限り、新聞社やメディアの限界の中でイノベーションは生み出されないのではないかと考える。

質疑応答を担当した津田大介氏が「この質問はクリティカルだ」といって上記の質問を紹介していたが、こうした質問がでてくること自体、この質問がクリティカルな質問だ、と言われるくらい閉塞感がまだまだ存在する現状のマスメディアの状態こそが、「クリティカルな状態だ」ということに気づかなければならない。

朝日新聞が目指す未来のメディアのあり方は何か
朝日新聞社主催のイベントであるにも関わらず、結果として朝日新聞社としてのあり方や意見があまりつかめないものだった。もしも、朝日新聞としての意見を十分にだしていた、と考えていたのであれば、その考えは改めたほうがよいのではないだろうか。もっと、朝日新聞社全社としての組織内の意識を変えていくことに注力していくことが必要かもしれない。

今回のシンポジウムは、言うなれば「外タレで最先端をいっているイケてる人たちを呼び、彼らがやっていることを参考にしながら、自分たちもそれになりたい、それに近づきたいということで追いかけ、自分たちのメディアとして、一ジャーナリズムを持った組織としてのプリンシプルもなしに行動している」という印象を受けてしまうのは僕だけだろうか。

どんなに外部の素晴らしい人たちと提携したり一緒にやったりしても、結果として組織の中に何も還元できないのでは意味がない。普段から、朝日新聞社の方々とはやりとりをさせてもらい、エース級な記者さんや行動力のある方々を知っているだけに、現場で活躍している記者の人たちが、もっと活躍できる場を組織として作ってもらいたい。もっと、朝日新聞社がどのようなものを目指し、どのようなことにこれからもっとチャレンジしていきたいのかを知りたいし、新しいことを取り組む姿勢の中で、一緒に何かやれないかと思っている者の一人として、切に願うところだ。

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