講演録:つながりが生み出す地域コミュニティと市民経済について

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本原稿は、9月1日に行われた一般社団法人地域デザイン学会全国大会の基調講演「つながりが生み出す地域コミュニティと市民経済について」の内容をもとに一部加筆修正を加えたものである。最近の私の関心事やシビックエコノミーについての考え方に対して、理論的概念をもとに整理しながら、これからの地域コミュニティ、市民社会のあり方についてまとめている。

はじめに

現代社会はさまざまな制度やシステムが転換期を迎えようとしている。また、人口減少などの社会的変動とともに地域社会に影響を与えている。地域コミュニティに目を向けると、空き家問題、貧困、介護や子育てなど、さまざまな課題を抱えている。そうした問題に対して、もはや政治や行政主導では立ち行きがいかなくなっている現在、市民主導で地域の課題を解決したり、市民自らがより良い未来に向かって行動するために何ができるのかが問われている。

その根底には、市民自らが、住んでいる、もしくは自身が関わる都市に対する自負を持ち、都市の課題解決のために率先して行動する人を増やすかが求められている。それは、単に地域に対する愛着のみならず、当事者意識をもち、主体的に活動する市民性を持ち行動することである。こうした地域に対する愛着心を、昨今では「シビックプライド(civic pride)」と呼び、この10年でその言葉自体も一般的に定着してきた。

そこには、一人ひとりが都市の未来を形作る主役であることを認識し、行動することが求められており、都市と人とのコミュニケーションデザインの必要性について考える人も増えてきた。同時に、そうした機運を醸成するだけでなく、多様なネットワークを構築し、地域に対して創発を生み出すためのコミュニティづくりが必要だ。そこには、コミュニケーションそのものをデザインすると同時に、地域のネットワークを再構成するための視座が求められてる。

シビックプライドの醸成と変遷

まずはじめにシビックプライドの言葉の頭についている「シビック」という言葉について触れていく。シビックプライドという概念が広く認知されるようになった先駆けは19世紀のイギリスだ。18世紀のヴィクトリア朝以降、産業革命によって職を失った農家が、都市への急激な人口移動を生み出していった。特に北部イングランド地域から中部にかけて工業や交易が急激に興って産業が発展し、多くの村が近代都市へと変貌していった。これに伴い、地域の主役が王侯貴族や教会から中産階級へと移っていく。こうした動きが近代市民社会の始まりと言われている。都市の拡大は他の地域からも人を呼び寄せ、血縁や地縁とは違った新たな人間関係が構成されるようにもなった。

19世紀、都市が形成されると次第に鉄道や公園、水道、行政自治区など自治に向けた制度や仕組みが開発されるようになる。地縁のない人達同士が集まってきたことで、都市に住む人達の治安は安定せず、安心して暮らしていくためにも自治に向けた様々な取り組みを求める動きがでてきたのだ。

都市は市民社会の象徴としての機能を持つようになり、特権階級から工業と交易による市民階級が力を得るようになる。次第に都市間競争が過熱し始め、そこから都市としての象徴となるメディアを求めるようになる。工業の発展とともに裕福な市民が誕生し、社会改革を進める動きとともに役所や図書館、音楽ホール、公園、広場といった市民のための施設が市民の働きかけや寄付で建造されるようになる。

都市としての優位性を表現していきながら、自分たち自身の手によって文化を勝ち取り、自分たちなりに誇りと力を持ってまちをつくり動かしているんだという自負が育っていくようになる。こうしたホール、銅像、美術館、学校を作る動きによって、世代を経ることでの新たな都市への帰属意識やある種の都市に対する愛着心といった「シビックプライド」が育まれるようになってくる。

時代は移り変わり、2つの戦争を経て経済成長を見せ始めた1970年以降、イギリスでは、製造業の低迷とともに都市の低迷がうたわれるようになる。サッチャー政権時代に突入すると、都市再生という課題が表出する。その課題解決のためには「人」を活かす取り組みがやがて生まれてきた。

例えば、各地域でNPOやコミュニティ、企業などがパートナーシップを組み、都市再生を推進する動きがその一例といえる。いわば、国や行政主導から民間主導、市民参加型の都市づくりへと移行する。民間主導、市民参加型を駆動させていく一つの象徴として、先のシビックプライドが次第に叫ばれるようになり、市民主導型でシビックプライドを醸成する動きが出てくるようになる。2005年、初代英国地域社会・地方自治大臣デビット・ミリバンド氏(当時)は「シビックプライドは、行動の結集であり、個々人の独創力の原動力」と語るなど、シビックプライドという言葉の重要性や価値について、官民ともに理解し行動するようになってくる。

イギリスのバーミンガムでは、まちの美化キャンペーンとして「You are Your city」というシビックプライドキャンペーンがスタートした。同キャンペーンは、ガムやタバコのポイ捨てをなくすことを目的としている。これをただ単に「まちにゴミを捨てるのをやめましょう」と言うのではなく、コンセプトとして掲げている「You are Your city」にあるように、自身の家や部屋はきれいにするように、自分たちが住むまちの姿、まち自身が自分たち自身であることを表現している。町自身が自分たちの鏡である、だからこそ、まちをきれいにしていくことは自分ごととして大事であることを暗に表現しているクリエイティブだといえる。

photo by Melanie Feuerer on Flickr

photo by Melanie Feuerer on Flickr

オランダのアムステルダムでは「I amsterdam」という市民キャンペーンがよく知られている。アムステルダムに住む人、そこで行われているあらゆる物事がすべてアムステルダムの一部であり、あなた自身もアムステルダムを構成する一員であるからこそ、誇りを持って“I amsterdam”と言いましょうというメッセージがここには込められている。

このキャンペーンでは、20人の写真家がアムステルダム各地を撮影しながら写真集を作り上げたという。風景だけでなく、そこで生活している人たちの様子などを捉えた写真集で、アムステルダムの様子をあらゆる角度から伝える内容だ。その写真集を市長が携えて、全国各地に外交を行い自分のまちを誇らしげにPRするなど、市長も巻き込んた大きな取り組みとなった。また、アムステルダムでは移民問題が社会問題化されていたが、移民であってもあらゆる人達が「I amsterdam」の自負をもてば市民である、というメッセージも込められている。さらに、日本の地方自治体が毎年実施する観光キャンペーンと異なり、市、地域行政、企業、観光局によって構成されるアムステルダムパートナーズを設立。観光の分野だけではなく、政治や都市開発など広範囲に及ぶ都市プロジェクト支援につなげるためにキャンペーンにまで展開している。

ドイツのハンブルグにあるハーフェンシティという湾港エリアの開発では、最初に情報センターを設立。古い発電所をリノベーションしてつくられた同センターは、計画が更新されるたびにセンター内にある模型を更新。誰でも自由に入れるため、更新された模型を自然と目にするようになる。センター内にはカフェもあり、コーヒーやビールを片手に模型を見ながら対話するイベントなども定期的に行われている。

まちの変遷、まちがこれからどのように変化していくか、その過程を知ると同時に、変化に対して誰もが意見を発し、対話しながら都市の変化を受容していく。誰もが納得した形で都市の変化を進めていくことで市民の信頼関係を構築し、市民にとっても都市の変化に対して興味を持ちやすい。

対して、日本の場合は計画や工事中の様子を見ることがあまりない。変化に対して市民の誰もがコメントしたり、もっとこうするべきでは、というコミュニケーションはあまりないだろう。それこそ、仮囲いをして、ある日急に建物ができたり、計画の過程をあまり見せず、計画によって決定した物事だけを発信したりする。計画そのものに市民参加を促すことなく、一方通行によって計画を推し進めるのでは、その建物にも、その建物がある土地や都市に対して愛着が持ちづらい。結果として、完成後や、完成前になり、膨大な広告予算を使って魅力を発信し、どうにかして関心をつなぎとめておこうと奔走する。ハーフェンシティの事例は、まちが人と一緒に育っていく過程をともに体験するプロセスであると同時に、人の気持ちという目に見えない価値を大切にし、関係性を構築することによって、結果として、少ない予算でも広告効果をもたせることができることが読み取れる。

とはいえ「いきなり、まちに対するプライドを持ちなさい」と言われたところで難しいかもしれない。だからこそ、まずはまちと私自身のかかわりを作っていくことから始められる。まちと人とのかかわりは一対一の関係だけでなく、みんなで一緒に体験し、共有していくことによって、Nの関係でまちに対する当事者意識やまちへの愛着が高まっていく。そこから「じゃあ、自分にも何かできることがあるのではないか」を考える人が少しづつ増えていく。

まちとのかかわりをデザインするのは、市や町レベルだけではなく、商店街やご近所のような小さなレベルで、すべての人が、自身としての居場所や愛着を感じられる場所があるはずだ。実際、近年では「ここで私の好きなことをやりながら、まちが変わっていくのなら、まちにとっても自分にとっても面白いことだ」と思い行動する人も増えてきている。

「プライド」とは個人が持つべきものであり、そこには、個人一人ひとりの生き方や暮らし方、働き方など、様々なものがプライドを作り上げる要素となる。そうした個人それぞれの意識を踏まえながら、都市がどのように存在するべきか。ただ仕事先と住まいだけを行き来する場所としての都市か、まちと自身の関係を考え、より良い”ホーム”を作ることが結果として自身の豊かな生活を築く一つとして都市を捉えるのか。どこに住み、どこに暮らし、どこで働くか。誰と住み、誰と暮らし、誰と働くか。あらゆるものに関係していくはずだ。

都市と市民の接点を作り出す9つのポイント

「市民」という言葉はこれまでの整理を踏まえて歴史を紐解くと、特権階級から市民主権となり、市民自らが獲得してきた歴史でもある。さらに、現代においては自発的な行動と能動性をいかに促すための動機づけを作り出せるかが課題となる。そこにある都市と人とのかかわりによって、個人の豊かな生き方や働き方、暮らし方に影響してくる。

市民が行政からなにかをしてもらうのではなく、市民一人ひとりのアイデアから、どうありたいかを考え、受け入れるための仕組みこそ、都市に求められているものである。まさに、シビックプライドとは、その都市をより良い場所にするために、自分自身が関わってるという当事者意識にもとづく自負の心である。そのための都市と人とのコミュニケーションのための媒介手段(メディア)が求められており、コミュニケーションのために必要なデザインがどうあるべきかを、考える必要がある。

伊藤、紫牟田による『シビックプライド2』では、まちなかにあるさまざまなモノや事が都市と市民との接点を作り出す「コミュニケーションポイント」を、人が都市をどのように受容するか、デザインの対象はなにかを軸に 9つの視点からまとめている。

出所:『シビックプライド2−都市と市民のかかわりをデザインする』 (伊藤・紫牟田、2016)より筆者作成

出所:『シビックプライド2−都市と市民のかかわりをデザインする』 (伊藤・紫牟田、2016)より筆者作成

建築物からウェブプロモーション、ロゴやビジュアルアイデンティティ、広告、フェスなどのイベント、教育的アプローチなど様々な方法論がある。これらのシティプロモーション事例でポイントとなっているのは、市民が「自分たちのまちの未来を自分たちで描こう」という気持ちになるためにどのようなコミュニケーションがデザインされているのかである。一般的にシティプロモーションというと、どうしてもキャンペーン、ウェブサイト、ロゴをつくる、といったところに終始しがちだが、そうではなく、基本的な考え方として「自分たちのまちの未来を自分たちで描こう」という気持ちになるためのコミュニケーションであることを理解しなければいけない。

都市は人が作り出すものだ。だからこそ、本来の意味でその都市の「らしさ」を浮き彫りにする人が何を考え、行動するか。市民の活動の積み重ねによって、歴史や文化が育まれてくる。それらを活かした取り組みこそが本質的な都市であり、そこに関わりたいと感じてもらうための伝えて方を考えるべきである。

人口減少の時代のなか、インバウントや移住のための認知向上による都市間競争ではなく、それぞれの土地の歴史や文化、市民の地域の関わり方や住みやすさ、働きやすさなど、その土地ならではの魅力と良さを作り上げ、持続可能な地域としていくために、多様な人たちの関わり方をデザインしなければいけない。そのためには、地域の文化資源を再構築し、地域の新たな文化価値を作り上げる行いが必要だ。そこには、民間や個人レベルでの活動が必要不可欠だ。

そのためには、ただ単にシビックプライドを醸成するだけでは地域の課題は解決されない。地域の持続可能な形を維持していきながら、新しい地域の可能性を掘り起こすために何ができるのか。そこには、公益性のみならず、事業性も担保しながらさまざまな人達と連携し、コトを起こすことが求められている。

主体的な個人や団体が中心となり、公共的で持続的な営みを作り上げ、誰もが担い手として関わり方の余白をつくりながら、多様なステークホルダーとともに、地域に新しい循環をつくりあげていくことが求められ始めている。

市民の意識向上の先に、自発的かつ持続可能な地域活動を生み出し、かつ、経済的自立をもとにした新たな民間主導の取り組みによって、自立自存の小さな経済圏を構築することを「シビックエコノミー」と呼ぶ動きが次第にでてきた。

シビックエコノミーの背景

「シビックエコノミー」という言葉を生み出したのは、00(ダブルオー)というロンドンのリサーチグループだ。彼らがまとめた『シビックエコノミー』によると、労働党のブレア政権が「第三の道」を提唱し、自立型福祉や官民連携を推進した政策をもとに社会的包摂を実現し持続可能な地域づくりを担う新しい経済主体を目指そうとしているなか、上からの一方通行ではなく市民参加型の双方向型の先に、市民が主導による自発性をもとに公益の実現を担う行政機関だけでは実現できないことを市民自らが補うことで、新たな経済圏を作る動きが地域レベルで起こり始めていると説明している。切迫した経済危機への対処だけでなく、経済活動のみならず社会的な包括や多様な価値観を受容するための社会基盤によって、新たな形態の資源を共有することで、雇用や就労、社会資本の構築によってより良い地域づくりを求める動きといえる。

例えば、空き家の活用、新しい学びの仕組み、生産者と消費者をつなぐ仕組みなどの農業や漁業などの一次産業や地場産業の再構築、公共施設の民間運営の仕組み、インターネットを活用したシェアの仕組み、誰もが小さな参加によって働ける居場所づくり、子育てや介護など地域に根ざした課題に対し、そのアプローチや仕組みはさまざまだ。昨今、日本では地域包括の動きが叫ばれているが、地域の見守りや高齢者含めた多世代共存の仕組みなどを構築することも求められている。里親の仕組みをアップデートしながら、地域で子供を育てていく、新たなソーシャルセーフティネットのような仕組みを作る動きもあるだろう。そこには、すべての人を受け入れ、内包していくソーシャルインクルージョンなあり方がある。こうした、新たな価値基準を作り出し、持続可能な市民社会モデルを作り出そうとする考えがシビックエコノミーという言葉には込められている。

同じ志を共有する地域コミュニティの人々たちが、ハードのみならずソフトによるアプローチを行いながら、世代を超えた関係性の構築を作り出していく。一方的なサービスの提供や享受ではなく、誰もが担い手となってその活動に参加することであり、多様なステークホルダーとともに地域に新しい循環を作り上げていく。コミュニティを通じて解決への道筋を見出すことによって、多くの地域住民が豊かに暮らすことができる支えとなる。場所や方法、ルールなどの既存のあり方を見直し、地域の幸福をつくるために必要な制度をつくりなおす試行錯誤を見ることができる。つまり、シビックエコノミーとは、市民による、市民のためのパブリックデザインといえる。

ところで、「エコノミー」の語源は、ギリシャ語でオイコノミアで、その意味は「共同体」である。つまり、個人ではなく共同体としてのみんながどのように生きられたら幸せになるのかを考えるための仕組みそのものがエコノミー(オイコノミア)といえる。そのため、貨幣なども媒介手段もエコノミーの一つの仕組みにすぎない。共同体内部が円滑に循環し、誰もが幸せに暮らすために必要な地域・市民による共生の知恵や仕組みづくりを行なうことこそ、本質的なエコノミーであるはずだ。そして、シビックエコノミーこそ、エコノミーを市民自らの手により戻し、自分たち自身で共同体のあり方を築き上げようとする姿勢そのものである。

こうしたときに、度々言われるのが、起業家など自らでことを起こす人、なにか、行動することを推奨されるが、私はそうではないと考えている。エコノミーの本質が共同体としての循環であるのであれば、そこに関わる関わり方の余地も多様であるはずだ。

エコノミーに関わる活動には、3つの役割があると考えている。一つが自分自身が主体的に関わること。プロジェクトや活動をひっぱり、会社やNPOなどを代表として陣頭指揮を取っていきながら自身も活動していくこと。二つ目は、こうした主体的に関わってる他者を応援し、活動を支える人です。当たり前ですが、活動は一人では成り立ちません。代表がいれば、その横には素晴らしい参謀や縁の下の力持ちとなる人が存在するはずです。こうした、他人の主体的に関わってることを応援し、支える役割も大きな存在です。三つ目が、他人を主体的にすることを関わること。主体的に活動する人も、はじめから自信を持って行動する人ではなく、やはり、不安や心配事も多いはずです。そうした人たちの不安を取り除いたり、時には主体的に行動しやすくするための設えを用意してあげたりする。主体的な活動そのものを支えるというよりも、主体的な活動の状況や環境を作り上げるような立場の人といえる。

10人いればそれぞれ価値観が違うように、それぞれにおいて、生活や家庭環境も違う。そのなかで、まちと関わりたいという気持ちと、それぞれの事情を踏まえて、やれることも違ってくる。家族の時間を大切にしたい人、自身の働き方によって、まちに関わる時間を捻出する時間も変わってくる。そうした事情を考慮せず、誰もが行動すべき、というつもりはない。自身のやりたいことを踏まえながら、無理のない範囲で関わり方を作るべきだし、時間軸とともに関わり方の仕方も変化してくる。だからこそ、こうしたエコノミーへの関わり方も多様であるべきではないだろうか。

シビックエコノミーの実例、考え方

シビックエコノミーでは、市民活動を通じて互いに持つ資源・能力をシェアすることで、地域の小さな経済が自立し持続可能となる経済社会システムの担い手を、いかに多様な形で生み出していくかが重要だ。そこにある当事者性とともに、地域といかに共存していくか。ここでは、日本の事例をもとにその活動の背景や目的、そこから生まれた成果などをまとめてみたい。

HAGISO・hanareが生み出す地域循環モデル

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東京・谷中にある「HAGISO」は、築60年超の空き家木造アパート「萩荘」をリノベーションした、イベントやギャラリースペース等を併設する複合施設として再生を行ったものである。築60年超と建物の老朽化に対し、芸大に通い学生時代に萩荘に住んでいた建築家の宮崎晃吉氏の提案をもとに、家主に対して改築費用をオーナーと宮崎氏が2:1で負担しリスクを共有する方式を考案のうえ、「萩荘リノベーション事業計画」をオーナーに提案。一階にカフェとギャラリー、イベントスペース、オフィス空間を兼ね備えた「HAGISO」が生まれた。複合施設を通じて建物内のみで資金サイクルを完結させる仕組みを構築している。

HAGISO立上げ後に取り組んだのが「hanare」である。谷中は、観光地化によって昼間人口は多いものの、夜間人口の少なさを課題としていた。これを解決するため、宮崎氏はまち全体を宿泊施設と見立て、地域の飲食店や銭湯と連携しながらHAGISOから各店舗へ送客を行いながら近くの古い木造アパートをリノベーションし宿場とすることで、地域の回遊性を高め地域にお金が落ちる仕組みを考案して生まれたのが「hanare」である。まち全体をホテルと見立てるコンセプトはすでにヨーロッパには存在し、イタリアの「アルベルコ・リフューゾ」(分散型ホテル)の協会からhanareに認定書が送られ、世界的にも知られるようになる。

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いかにも最先端な事例に思われるが、まち全体の回遊性を高める取り組みは古くから存在しており、日本では江戸時代に「まちやど」という考え方としてすでに実施されていたという。かつては店舗や宿も小さく、かつ町中における関係性が強固であった時代において、自分たちだけが儲かるのではなく、街全体が儲かることが、結果として、自分たちも、隣人も、まちもすべての経済が循環することを肌で理解していた。谷中でいえば、たとえHAGISOに年間で数万人の来場者が来たところで、他の店舗や商店に人が寄らなければ、ただまちなかに混雑を生み出すだけの施設となる。谷中が持つ寺町としての魅力があるからこそ、その中にあるHAGISOの良さが引き出されれるという、地域全体とのつながりのなかにある連携性のなかにおいて、点ではなく地域の面全体で経済圏が成り立つことが、結果として点に対しても影響が波及することになるといえる。

かつての考え方を現代に再構築し、現代的な方法とデザインをもとにした「まちやど」の考え方や方法論を広め、地域全体の持続的な活動とするために「日本まちやど協会」を設立。各地の旅館やゲストハウスと連携しながら、従来の囲い込み型の宿とは対照的に、「まちやど」をもとに来訪者に対して地域の魅力を伝えながら、域内の消費に貢献する経済圏を作りつつある。

都市の均質性に対する新たなスキーム「STAND GINZA / 80」

私が関わった取り組みの一つに「STAND GINZA / 80」がある。STAND GINZA / 80は、銀座の一等地で、1日/1平米から利用できるマイクロスペースという考え方だ。銀座というまちは、いまやハイブランドや料亭が並ぶ場所だが、とかく地価が高いことで知られている。それによって、地元で長く商売を営んでいる人たちが立ち退いたり、大資本のテナント出店が軒を連ね、資本力を持たない若い人たちや新しいものを生み出そうとする人たちの出店が難しい。また、多くの都市が大資本の出店が建物が建築されることで、都市そのものの多様性を失い、どこの都市も同じような風景を生み出してしまう。結果として「都市の均質性」を高めてしまう。

しかし、かつて銀座は戦後の復興とともに焼け野原からスタートした歴史を持つ。本来はまちとしても若い人を受け入れる土壌があったが、経済合理性に則った形を進んだ結果、これまで築き上げてきたまちの文化が廃れていくのではという危惧をオーナーなど一部の銀座に関わる人たちは持っている。そうしたことを知り、新たな文化と経済の発信地としての変革が求められていた。

都市部におけるテナントの問題点として、テナント入居に際して、初期費用などのコストの問題から、出店期間が最低でも数年単位で出店することが基本である。そうしたときに、テナントが退去してから次のテナントが入居するまでの期間、空きスペースとなってしまう。次のテナント入居の時期が決まってると、短期間でのテナントの需要がないため、都市部でも場所によっては空きスペースのまま放置されがちになる。そこで、前のテナントが退去し、次のテナント入居者が入居する約1年間という短い期間を利用させていただくなかで可能な事業を作り上げることが事業としての制約条件であった。

撮影:鈴木渉

撮影:鈴木渉

STAND GINZA / 80 では、80坪近いスペースをさらに細切れにし、1平米単位から貸し出すことによって、平日1日/1平米2000円という安価な値段からスペース利用ができるモデルだ。地価の高い銀座でも、時間を短くしスペースを狭くすれば手頃な値段で借りられるというアイデアを形にした。こうすることで、いままで銀座に出店したくても出店できなかった事業者や、新商品、新サービスのテストマーケティングをしたい人たちなどの利用を促進する。また、日頃は地方で商売を営んでいる人の東京出店やファンとの接点づくりなど、地方と都市をつなぐきっかけにも担うことができるし、普段は会社員をしているが副業に力を入れ始めた人、専業主婦だけど、家にある品々をフリマ的に使いたい人、新しくなにかを始めたいと思う人など、様々な考えを持った人にも手が届きやすいモデルとなっている。

スペース全体にテーマをあえて設けなかったことで、アパレルの隣に占い屋、そのとなりに野菜を売ってる人、その隣に本を売る人、絵を売る人、マッサージをやる人など、多様な出店者たちが軒を連ねることとなった。一般的なスペース企画だと「○○物産展」「○○マーケット」など、特定の分野、特定のジャンルをキュレーションすることによって、相互の価値を高め集客を誘引するが、ここではあえてそうしたことをしないことで、本来であれば隣接しない、普段のイベントでは一緒にならない出店者同士のつながりが生まれた。

出店者の顧客にとっても、目新しい出店者との出会いがあることで、新たな発見や刺激を得ることができ、別の出店者のファンになることもしばしある。また、出店者とのつながりが生まれることで、いままででは出会うことができなかったネットワークを構築することができる。「たこつぼ化」しがちな情報ネットワークにおいて、ある種の偶発性を作り出すことでカオス空間とともにより複雑化するネットワークをつくることとなる。また、不動産事業の側面からしても、出店ニーズを持った事業者たちが集うこと、また顔を見知りによる信頼関係を構築することができる。こうした仕掛けにより、これまで銀座に足を運んだことがなかった人、銀座に関わりたいけどそのきっかけがなかった人たちの後押しを行うことができる。そうした新たなつながりが、銀座のまちの次なる人材を呼び込む種にもなりうる。

都市部における短期間のテナント利用の事業展開の可能性を見せた「STAND」事業は、あらゆる都市部への展開が可能だ。オーナーとしては家賃収入が得られ、スペース利用者は一等地の場所で短期間の出店や店舗展開ができるメリットがある。同時に、都市がもつ人材流入の固定化を防ぎ、新規参入や新たな顧客開拓のきっかけとすることができるのだ。

DigDig Cityで地域文化を体験する

HAGISOやSTAND GINZA / 80のような施設やスペースを使った取り組みだけではなく、ソフトな取り組みによって地域の新たなつながりをつくる活動も紹介したい。私が関わった「DigDig City」は、一言で言えばまち歩きだ。昨今、地域のことを知ったり体験したりするためにまち歩きが盛んに行われているが、DigDig Cityでは一般的なまち歩きとは少し趣向が違い、まち歩きを行うチーム構成やアウトプットを工夫している点が特徴だ。

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一般的なまち歩きは、集まった人たち各々で自由にチームを組むが、DigDig Cityでは、まち歩きをする舞台が地元の人と、近隣に住んでる人、そして遠方の人という3つの立場の人で一つのチームを作り、複数チームによって企画を成り立たせた。彦根で実施した際には、彦根在住の人、京都や大阪などの近隣都市に住む人、そして、東京に住む人といった三層構造のチーム構成で、トータル3つのチーム(A〜C)を作る。A、B、Cそれぞれチームは、「まちの探検隊」として、歩くエリアそれぞれをバラバラに、まちなかで個性のあるもの、魅力あるものを「掘り起こす」ことをテーマに、個性あるものを見つけたら、スマホで写真撮影をし、見つけた場所を地図に落とし込む。チームそれぞれに、「マッパー」(地図に書く人)、フォトグラファー(写真を撮る人)、ライター(見つけたものにコメントを付ける人)など、役割を付与させることで、チーム全体としての一体感を作り上げる。もちろん、互いに面白いものを発見したら適宜それを共有したり議論したりしながら進む。また、チームそれぞれに、マストで見つけるべきお題を渡したり、待ちゆく人に話しかけたりするアクションカードなどを使ったりしながら、ゲーム的要素を入れつつまち歩きを行っていった。

数時間後、まち歩きによって見つけたものや体験したもの、待ちゆく人たちとの対話をもとにメモした内容を書き起こし、地図にポイントをいれつつ、カード化する。カード化では、チームでメモした内容をもとにそのポイントがどういったものかをまとめていく。これにより、仮に同じポイント、同じ体験をしてたとしても、その時の状況やチーム構成によって、蓄積される情報が変化していく。カード化したものをもとに、最後はチームそれぞれでベスト3を各々発表するまでを一連の流れとする。カード化した内容、プレゼンした内容によって、改めて、この地域の魅力や良さ、体験を情報として得ることができる。仮に地元に住んでる人であっても、これら一連の編集によって、目新しいものや、長年住んでいても気づかなかったことに気付かされることも多い。

チーム内の構成を立場や普段住んでいる場所が違うことで、一つのまちを見る視点も大きく変わってくる。誰かにとっては当たり前なものであっても、誰かにとっては不思議なもの、目新しいものになる。三者の立場から街を多層に見ることにより、住んでいるものでは気づかない視点や、自身の住まう地域との違いを浮き彫りにするのだ。

こうしたまち歩きの手法は、かつての宮本常一や今和次郎などの文化人類学、考現学、さらには、赤瀬川原平による路上観察学会などを参考にして企画を設計した。彼らが見てきた地域や文化に対するまなざしを現代の形に再設計しながら、文化体験を通した新たなネットワークづくりとしてのきっかけとするような内容に仕上げた。

地図を互いに作る過程を通して、地図そのものからまちを知り、地図づくりを通してまちを理解していく、学習のプロセスがあることも大きなポイントだ。よく知ったまちも、見方を変えると違った体験が生まれて、その土地のことを深く知るきっかけとなり、初めてその土地を歩いた者は、新鮮な目線と体験によって、そのまちの文化を知り、固有の体験を通じてそのまちに対する愛着を構築する。また、チーム内のメンバーそれぞれが立場が違うがゆえに起きるコミュニケーションや、まち歩きという共通体験を通じて得られる仲間意識や関係性が構築される。

地図そのものがインターフェイスとなり、まち歩きを通して、それまで知っていた自分たちの町の新たな側面を発見した参加者は、発見した情報をもとに他の参加者らに情報がフィードバックされ、まちの情報が更新されていく。地図というインターフェイスは、その中に定着された情報をきっかけにした行動を促し、そして行動がさらに別の情報を発見するというかたちで、人の経験の連鎖をかたちづくっていく。他人事からまちを自分ごと化し、他者との共有、共有体験を通じて、当事者意識を高めることができる。

これら一連の体験が互いのネットワークによって、次なる地域アクションの種となる。例えば、まち歩きで見つけた空き家をどのように活用するかを、まち歩きしながらブレストすることもできるし、普段では考えないことも、あるきながら、かつ立場も所属も違う人達で議論することで、思いもつかなかったアイデアがでてきたり、そのアイデアに対してそれぞれで参画できるような仕組みを考えつくことがあるかもしれない。

これらの体験の次なる発展として、新たなビジネスなり、コミュニティづくりの醸成へとステップアップすることもできるだろう。あえて町を歩くというスローな体験を行うこと、かつ、立場の違う参加者同士の対話を誘発しながら、まちなかにある歴史や風俗を体験することによって生まれる価値は、設計次第によってはまだまだ可能性もあるはずだ。

シビックエコノミーを紐とく評価軸とネットワーク理論

こうして生まれたそれぞれの活動は、例えアウトプットが同じか似ているものであっても、その背景にある問題意識やきっかけ、そこに集う人たちの思想や強みなどによって変わってくる。仮にカフェやコミュニティスペースであっても、土地固有のオリジナリティであり、ひいてはその土地のらしさを表現するものであるといえる。つまり、コンテンツそのものだけでなく、いかにコンテキストを作り出すかが重要である。とはいえ、それらの活動がある種の事業として捉えた場合、それが再現可能性があるのか、横展開など応用性があるのか、生み出された事業がどのようにその土地やコミュニティに対して効果をもたらすのかを検証しなければいけない。

しかし、成果を定量的に評価することはなかなか難しいかもしれない。売上などの目に見える指標のみならず、人の感情やシビックプライドなどの人の気持ち、関心度合い、関わり方の強弱など、目に見えない指標が多い。しかし、持続的な活動を行うためには何かしらの成果を評価する必要があるだろう。そうしなければ、この活動がどういう意義があり、どういった効果があるのか。それがすぐに効果が発揮しないことかもしれないが、どういうことを意図しているのかを常に意識してプロジェクトや活動を推進しなければ改善や新たな課題を見つけることはできないだろう。また、土地や建物、産業や人のネットワークなどの資源を活用し、長期的な視点で生態系としてのエコノミーをかたちづくることを考えると、活動がどのように地域や人に変化を生み出していくかも考えなければいけない。

プロジェクトを考える上での4つの指標

こうした指標軸を考えるにあたり、伊藤、紫牟田は都市と人とのコミュニケーションをデザインすることによって得られる成果や評価指標を、4つの基軸で整理をしている。

出所:『シビックプライド2−都市と市民のかかわりをデザインする』 (伊藤・紫牟田、2016)より筆者作成

出所:『シビックプライド2−都市と市民のかかわりをデザインする』 (伊藤・紫牟田、2016)より筆者作成

一つ目の「経済指標」とは、市外者、市内者、参加者がどれだけ増えたか、これまで来なかった人がどれだけ来たかというインバウントにおける数値や、人の滞在時間がどれだけ増えたかという滞在率や滞在時間、それらを含めたプロジェクト収入だ。このあたりは、一般的なプロジェクトやビジネスにおける指標として理解してもらいやすいだろう。

また、どれだけ参加事業者がいたか、スタッフを何人雇用できたか、新たな事業がどれだけ生まれたか、新たな就業者がどれだけ生まれたか、新たな仕事がどれだけ生まれたかという経済的な直接的、間接的効果についても挙げている。プロジェクトそのものとしての効果だけでなく、それらを通じて地域やまちにどれだけの経済効果をもたらしたかというのも重要な指標といえる。

さらに、移住者・定住者がどれだけ増えたか、リピーターがどれだけ増えたか、メディアによってどれだけ報道されたかなど、単発では終わらない、継続性やプロジェクトをきっかけとした定住促進により、税収がどれだけ見込めたのかや、メディアによる情報発信効果も見逃せない。こうした指標は、おそらく一般的なまちづくりなり地域活性において理解されやすい指標といえるだろう。

二つ目が「情緒的指標」だ。これは、いわゆる人の感情といった情緒的な部分にフォーカスしたものである。同時に、あらゆる地域において重要でありながら、意外と見過ごされがちな部分が、この人の「気持ち」の部分だろう。

ワクワクしたか(期待感や高揚感がまちに生まれたか)、居心地のいい場所ができたか、まちの雰囲気が変わったか、新しいまちのイメージが形成・発見されたか、まちを象徴するようなイベントになったかといった項目は、まさにそうした人がまちに対して抱くイメージや思いがどのようにポジティブに変化したかであろう。このあたりは、イベントなどを一回やっただけでは変化することはなく、継続的な取り組みによってじわじわと変化していくものだと言える。そのため、中長期的な視座をもって活動を行っていくことが求められる。また、特定の世代だけが満足するのではなく、地域であれば多様な世代を巻き込まなければいけない。そのために、それぞれの世代や層に向けたいくつもの施策が求められる。

また、どれだけの人が伝えたくなったか(施策や場所、イベント等)、どれだけ話題として共有されたか、自分が主体となりたい、もしくは自分でもやりたいと思った人がいるか、まちをもっと良くしたいと思ったかという、自分ごと化された人たちがどれだけ増えたのかを図ることも大事なポイントだ。人の気持ちが動かされ、プロジェクトやイベントに参加してみたい、主体的に関わってみたいという気持ちは、一つ目である経済指標と表裏一体ではあるものの、必ずしもお金目当てで行動するというだけではないことは言うまでもないだろう。まちそのものに愛着を持ち、少しでも手伝いたいと思うような行動する人が増えてくるか。そのための気持ちを醸成することによって、地域に関わる人が増え、そこから自ずと経済指標への影響も出てくるだろう。

三つ目が「社会的指標」だ。社会課題といった大きな問題の解決に寄与したかを測るものといえる。高齢者や子ども、外国人や障がい者など多様な層が参加できる間口になっているか、まちおよび社会の課題に対してどれだけクリエイティブに対応できているかという多世代共生や多世代参加を促しているかという視点や、高齢化の問題、子育ての問題解決に向けた活動になっているかを測るものだ。また、必ずしも直接的な解決になっていなくても、こうした社会課題を認識、理解するためのまちへの意識の啓発になっているかという指標や、多様性を前提とした自由な表現や活動が受け入れられる場となっているかという社会的包摂に対する視点も含まえている。

独居老人やニート、貧困などの社会的課題を持つ人々との楽しい接点をつくれているか、希望が与えられているか、好奇心を阻害せず、自由な表現や活動を行える場となっているか、ジャンル横断的なプログラムとなっているか、というそれぞれのポイントも、社会的な様々な問題に対して、直接的だけでなく、間接的であったり、自然とそうした問題に目を向けやすくするためのコミュニケーションデザインが求められてくる。こうした問題を、いかに自然に、それでいて、二つ目の情緒的指標のように、自然と行動したり、人の気持ちや行動が移り変わっていくかを考えていくことが求められてくるだろう。

四つ目が「能力の蓄積指標」だ。これは、言い換えると、「人材育成」や「ヒューマンリソース」といった個々のスキル向上から多様性のあるネットワークづくりができるかという点から、ノウハウや知識の継承といった次世代に向けた投資をどれだけ意識したものになっているかという指標だ。協働できる企業、団体、行政とのネットワークができているか、信頼できる人のネットワークができているか各々の人の特長を活かしているかという視点は、いくつもの立場の人たちが関わることで、それぞれの強みや立場を活かしたアプローチが可能となる。また、組織や団体のみならず、個々人の個性を活かすことによって、それぞれの活躍の場や居場所づくりにもつながってくる。

さらに、若者の才能を発見できたか、活動がオープンで誰もが参加できる状態であるか、主体となれる人を育てることができたか・情報発信チャネルを持っているかという視点は、ついつい、わかってる人たちだけでやってしまいがちだったり、気がついたら活動している人たちが高齢化しているという課題をきちんと理解し、次世代のチャレンジの場や参加したいと思う人達に対して門戸を開き、新規参加者を促すことで団体としての新陳代謝を促すことを意識付けしておくことが求められています。

さらに、人に伝える手段を工夫できる経験を身につけたか、継続性のある組織ができたか、思いを持っているか、大枠のビジョンを持っているか、思いを引き継げるかという、プロジェクトや組織としてのPR力の向上やガバナンスを高めることでの持続可能な活動体を構築することも必要だ。

それらを踏まえて、新しいことにチャレンジしたか、未知のできごと、トラブルなどにどう対処したか、変化に柔軟に対応できているか・プロジェクトが持続できる経済的仕組みへの知識と経験を得られたかという、常にプロジェクトをアップデートさせながら、改善や新たなチャレンジが自然と生み出されるような環境になっているのかを振り返りながらプロジェクトや活動を進めていかなければいけない。停滞や、前と同じことをやっているだけでは地盤沈下が起きてしまい、結果として経済指標も下がり、情緒的指標も下がってしまう。持続可能な取り組みというのは、世代を超えて受け継がれるものだという意識と、自分だけ、自分たちだけで終わらせない、未来への視座が求められているのだ。

これら四つの指標を照らし合わせながら、それぞれの活動を概略ではあるが評価してみると、HAGISO・hanareであれば谷中にある古民家のある町並みを残すための情緒的な指標を高めつつ、地域に対して循環経済が生まれる仕組みを構築しており経済指標も高い。また、「まちやど」という考え方を再定義しなおし、谷中のみならず各地に対して展開することにより、各地の能力蓄積にも寄与している。STAND GINZA / 80の事例は、銀座の歴史という情緒性をもとにしながら、町に対して新規参入を生み出すことでのネットワークづくりとしての能力の蓄積指標も高く、新たな商いの人たちに対してチャンスを提供しているものともいえる。また、都市の均一化という社会的課題に対して新たなアプローチをもとにしたスキームを提案しており、社会的指標もあるといえるだろう。

これまで、多くの地域の取り組みは直接的・間接的な経済指標を評価軸ととしがちだが、他にも数値化しにくい価値にも目を向けなければいけない。また、評価に対して短期で評価するのではなく、いかにして中長期的な視座に立った評価が行えるか、同時に、社会的指標や能力の蓄積といった人材育成や知識・知恵の共有・継承などの人的資産や地域資産の蓄積にも目を向ける必要がある。こうした点を踏まえ、各地で展開されている事例や、これから取り組もうとしているプロジェクトについて、こうした視点をもとに整理することにより、自分たちの強みと弱み、今後の課題や注力すべきポイントが見えてくるだろう。

コミュニティ・キャピタルで考えるネットワーク理論

これまで、シビックプライドの流れやシビックエコノミーの概念や実例、それに伴う指標について紹介してきた。ここでは、これらの活動を支える根幹であり重要な存在である「人」についてフォーカスしてみたい。

シビックプライドを持ち、シビックエコノミーを生み出すような自律的で、持続可能な活動を生み出すには、個人一人ではなく、そこに関わる多様な人達の存在が欠かせない。また、エコノミーに関わる3つの立場でも紹介したように、主体的に動く人、主体的に動く人を支える人、他人を主体的にすることに関わる人など、関わり方にもグラデーションもある。同時に、どういう立場であれば、根底には地域やまちをより良くしたいと思う気持ちがあるのは間違いない。そうした気持ちを育みながら、多様な人たちが地域に関わるきっかけには、やはり人と人とのつながりが欠かすことのできないものだ。

では、ここで「人のつながり」といったときに、友達であればいいのか、ただ、SNS上でつながってる人であれば誰でもその地域に対して行動してくれるのか、といえばそうでもないだろう。また、仮に地元出身であればよいのか、といえばそうでもない。自身との信頼関係を構築し、地域に関わる人を増やすための「つながり」をどのように捉えるか。「つながり」という言葉が昨今注目されるなか、どういう「つながり」を作っていくかを、きちんと科学的に捉えなければいけない。

この、意外と見過ごされがちな「人と人とのつながり」を考える上で、西口、辻田は、「コミュニティ・キャピタル」と呼ぶネットワーク理論をもとに整理してみたい。

西口、辻田は、コミュニティの間における成功体験によって「刷り込まれ」、その累積によってメンバー間に「同一尺度の信頼」が派生し、同じコミュニティへの帰属意識が強化されることと、面識のないメンバー間でさえ、積極的に協力しあう「准紐帯」が醸成され、その結果、個人の能力の総和ではなく、特定のコミュニティにおける環境異変の耐性と成育力が担保され、コミュニティに対して長期的繁栄をもたらすと指摘している。また、この同一尺度の信頼によって結ばれた、成員間のみ有効活用できる関係資本を「コミュニティ・キャピタル」と呼んでいる。

つまり、特定のコミュニティ(例えば、特定の興味関心でつながった場や、同じ中学、同じ高校などの個人におけるソーシャルネットワークの原体験など)における生活や日々のやりとり、時にはコミュニティ内で生まれたイベントや、共通体験などによって、コミュニティ内にある種の成功体験が生まれることによって、コミュニティ内のメンバー間に一種の「刷り込み」が生まれるという。この「刷り込み」とは、いわばメンバー間において語ることのできる思い出が構築し、それらを通じて互いに関係性が構築されることを指す。昨日までは見ず知らずの人であっても、一緒に旅をした「仲間」となることで互いに友達になったりすることはまさにこの一種である。

それらの「刷り込み」は、一度だけであればその後疎遠になったりすることで関係性が希薄化してしまいが、そうした「刷り込まれる」出来事を何度も重ねることによって、そのメンバー間に「同一尺度の信頼」、いわば、一定の信頼関係によって生まれる友情や愛情などの情緒などを含めた互いへの理解があることにより、同じコミュニティへの帰属意識が高まるという。例えば、中学時代に辛い部活をともに過ごした同級生同士の友情関係や、そこで生まれる部活というコミュニティに対する帰属意識や愛着意識がそうだろう。

そうして生まれたコミュニティにおいて、新たにコミュニティに参加する者やコミュニティ内のメンバーから紹介された人物がコミュニティに参加することに対して、メンバー当人同士での「刷り込み」や「同一尺度の信頼」をある種の担保に、新たなメンバーに対しての接続がしやすくなるという。これによって生まれるつながりを「准紐帯」と呼んでいる。新たな参加者がコミュニティに加わることにより、コミュニティの文化や組織体制に対して違った変化を及ぼす。コミュニティにおける新陳代謝が起きることで、違った情報や外部接続をもたらす可能性を持つことによって、コミュニティ外部の環境変化に対してより柔軟に対応できることができ、結果としてコミュニティの持続可能性が高まるということである。

例えば、日本酒好きコミュニティがあるとき、メンバーの一人が日本酒好きな友人を連れてくることで、新たな日本酒に関する情報が入り、やりとりが活発化したり、メンバー同士で盛り上がって、それまではどこかの日本酒バーを巡るだけだったのが、「どこかの酒蔵に見学に行こう!」などのように活動そのものが活発化してくることが一例として言えるだろう。同じメンバー同士で楽しむことも一つの良さがあるが、こと、継続的なコミュニティを捉えた場合、ある程度の新規参入がいることでの新陳代謝も必要であることは肌感覚でわかる人もいるだろう。これを地域に捉えたときには、移住者なり、地域に関わる人が増えないことで、結果として外部の新しい情報に接する機会が減少し、ガラパゴス化してしまう、とも捉えることができる。

「コミュニティ・キャピタル」と呼んでるように、これはある種の「資産」であり、ソーシャルキャピタルより密接で、特定のメンバーシップによって境界が定まっているコミュニティにおいて、そのメンバー間にのみ共有されるリソースとしてのキャピタルを捉えようとする概念である。

コミュニティ・キャピタルを持続させる「人」の4分類

では、このコミュニティ・キャピタルをいかにして醸成していくかを考えてみる。持続可能なコミュニティの醸成のためには、コミュニティそのものが持つ特性として、閉鎖的な凝集性がある。凝集性が強いことによって、一定程度の組織やコミュニティとしての強度が強まるが、一方で外部ネットワーク性が減少することと表裏一体である。外部ネットワークの減少は、さきほどコミュニティ・キャピタルの指摘であるように、外部環境の変化に対する体制や生育性を減少させ、結果としてコミュニティを減衰される恐れがある。こうした問題と似たものとして、昨今では「フィルターバブル」と呼ばれる情報の偏向性がもたらす社会的分断について指摘する声も大きい。

西口・辻田は、スモールワールドネットワーク理論を応用してこれらを説明する。つまり、スモールワールドネットワーク理論では、理論上は6人の友人を介すことによって世界一周するという概念であるが、人は互いにコミュニティに所属し、それぞれに対して関係するネットワークに偏りがある。かつては、これらは「階級」として社会的地位や立場が違う者同士は、日常においてほぼ交わることのないものとして、社会的分断が社会構造的にあったといえるだろう。先のフィルターバブルやコミュニティにおける凝集性をもとに考えたとき、それぞれのネットワークが同一性の高いコミュニティだけであれば、どんなに6人の友人を介そうとも世界一周するほどの広いつながりを持ちうることはできない。

人は、いくつものコミュニティに所属しながら生活し、仕事をし、日々を過ごしている。理論上は6人で世界一周するとはいえ、それらが現実的に適応可能となるには、有効的なコミュニティ・キャピタルが構築され、適度に新たな外部接続性を持つ社会ネットワークが必要であるという。そのためには、一部のコミュニティメンバーが環境変化にあわせて、多様な外部ネットワークと接続することで新しい情報を収集し、個々人の情報伝達経路を再構築(リワイヤリング)することによって、そのコミュニティが内部凝集性と外部探索力のバランスを持つことで持続性を担保することができる、西口・辻田は指摘している。

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スモールワールドネットワークも、先のフィルターバブル現象と同じく、同質性の高いネットワーク内では、ランダム性の少ないネットワークにしかならない。ここで重要になってくるのは、まったくの赤の他人ではなく、ある一定程度の交わりがあり、信頼関係が刷り込まれた人たちとのつながりによって、適度にランダム性のあるネットワークを構築することである。つまり、コミュニティを持続的にするためにはコミュニティ・キャピタルを高めながら、多様なネットワークを構築していくことで、コミュニティそのものをしなやかにシフトさせていくことであるといえる。

昨今では、インターネットを通じ、緩いつながりに注目をされている。SNSを通じて新たなお友達を作ったり様々なつながりを作ることが容易になったが、では、いざ実際に自身の大きな行動や選択の助けになるのか、といえばそうではないはずだ。

SNSなどのつながりも、過去に強いつながりや何かしらの共通項、成功体験などがあって、はじめて強固な人間関係が構築でき、その関係性を軸にコミュニケーションをすることで、自身が通常ではつながらない人たちとつながるきっかけを作るようになるはずだ。

西口と辻田は、こうした「緩いつながりの強み」をもとに、コミュニティ内のメンバーを「現状利用型」「動き回り型」「ジャンプ型」「自立型」の4分類に類型している。コミュニティ内部において、同じような動きをするのではなく、微妙に違った動き方や考え方を持ちながらコミュニティに関わる、関わり方の多様さを指摘しているといえる。

「現状利用型」(passive recipient)とは、直近の人間関係を適宜利用し、しかも、ほぼそうした直接的な関係内に留まったまま活動するものである。いわば、コミュニティの内部、地域であればその地域に根ざして活動するものであり、往々にしてコミュニティ内部の政治的な動きなどを調整しながら動くことにより、コミュニティを円滑にしようとする立場である。

「動き回り型」(active mover)は、既存の人間関係をベースにしながらも、適度に外との接続を行う立場である。ある程度、所属しているコミュニティに片足を起きながら、ゆるやかに外との接続を行い、外部との関係性を築こうとしているものだ。例えばUターンで地元に帰ってきたものや、Iターンなど他の地域からその地域に定住し、活動している人などはこのパターンだろう。

「ジャンプ型」(jumper)は、「動き回り型」と似て既存の人間関係やコミュニティをベースにしながらも、全く新たに独力で、遠方におよぶ脱コミュニティ的な人間関係を構築する立場である。これは、動き回り型よりも開拓精神があり、時には既存のコミュニティとは関わりのないネットワークづくりをしたり、コミュニティを一時的に離れ、違ったコミュニティを転々としながら、またそのコミュニティに戻ってくるような、そうした自由さを持ちながら広く多くの外部とのハブとなるような存在といえる。

最後の「自立型」(independent)は、できるだけ他者を頼らず、自力で新たな機会を開拓しようとし、人間関係の構築にもその活用にもあまり関心がない立場だ。コミュニティにおいては、時には空気を呼んだり、ある程度の政治が働くことこともある。そうしたコミュニティの人間関係における様々な軋轢や衝突から逃れ、自由に、それでいて独力で活動する存在である、しかし、往々にして、そうした立場の役割の人たちが、コミュニティにおいて創造的な価値を提供することもある。コミュニティにおいて、そうした自由な立場がいることを許容することも重要であるといえるだろう。

こうした4つに分類された多様なメンバーは、そこには先に述べたようにある一定の「刷り込み」や成功体験によって関係性が構築されながらも、それぞれの違った行動や思考パターンに応じて、適度に外部接続性を高めたり、内部のコミュニティにおける調整や新たな価値観を提案するような動き方をする。この理論に基づくと、コミュニティにおいてなにがしかの共通の「つながり」があることによって、コミュニティに帰属する者同士のネットワークを構築しやすくなる。また、メンバー同士のタイプが違うことにより、外部接続性を高めつつも、そのコミュニティの軸になっている問題意識や課題感、ビジョンなどの大きな方向性を共有する(そもそもの刷り込みのきっかけがそれであればなおさら)ことによって、互いに信頼関係をもちながらも、それぞれが自律的に行動する。

これはつまり、はじめに言及した「シビックプライド」は、まさに「刷り込み」される大きな一つであり、このある種の成功体験、共通認識をもたせることが、地域におけるプロジェクトや活動体としての一つの成果指標であるとこれまで述べてきた。そこにおける4つの指標をもとにしながらも、活動体としての一つの体験を共有化することにより、コミュニティにおける「同一尺度の信頼」とともに、外部接続性を帯び始めてくる。シビックプライドを含めたコミュニティ内のつながりと、構成メンバーの多様さを生み出すことによって、そのコミュニティを繁栄させ、持続性を生み出すための情報伝達経路も重層化されていく。

先に紹介したHAGISOやSTAND GINZA/80、Dig Dig Cityは、この多様なネットワークを呼び込むためのフレームであることが、改めて認識することができる。HAGISOであれば、谷中という古い町並みに愛着をもつ土地オーナーと、そこにかつて住んでいた芸大生で建築家の宮崎氏のゆるやかな関係性があったからこそ、駐車場ではなくリノベーションしたスペースに生まれ変わらせることができ、そこから様々な仕掛けを生みだしている。ここでは、土地オーナーが現状利用型であり、宮崎氏や動き回り型といえる。そこから、HAGISOが生まれることで、HAGISOそのものが一つのコミュニティとして駆動し、そこに集まる多様な人材によって経済圏が生まれ、多様な人達の視点で谷中を見出すことで、新たな価値提案へとつながっていく。

STAND GINZA / 80では、一般的なテナント運用に対して、短期利用という課題感がありその課題感解決のきっかけに役立ったのが、建物のオーナーと不動産会社の者がかつて大学の動機であったという刷り込みと同一尺度の信頼をもとに、これまでの銀座とは違った価値観を提案してほしいという流れによって実現したものといえる。不動産会社も私たちも、銀座という町並みを少しでも良くしたいという都市に対するプライドを持っていたからこそ、銀座という土地に対してSTAND GINZA / 80という、これまでの銀座のテナント運用とは違ったスキームを提案することができた。これにより、これまで銀座と関わることのなかった地方の事業者や小規模事業者らとの接点ができ、銀座というコミュニティにおいても外部接続性を高める仕掛けが起きた。

これらを見るとわかるように、コミュニティも一つではなく、多様なコミュニティが互いに重なり合ったり、あるコミュニティがもう一つの小さなコミュニティを内包する形で存在することもありうる。そこにおいては、一つのプロジェクトや活動体によって、複数のコミュニティに対して影響を及ぼすこともありうるだろう。

また、DigDig Cityのような街歩きは、先の2つと違い、刷り込みのない、もしくは同一尺度の信頼がまだあまり構築されていないメンバー同士に対して、ある種の町に対する共通体験や成功体験を作る仕掛けをもとに、これまでなかったコミュニティ・キャピタルを作り出す装置であるといえる。また、構成メンバーそのものが土地との関連性に対して重層性があるからこそ、多様な情報伝達経路を作りだすものであるといえる。実際、DigDig Cityをきっかけに生まれたつながりによって、新たな活動や店舗展開などの動きもあり、一定程度の効果を及ぼすことができた。

地域においては、現状利用型だけでなく、動き回り型、ジャンプ型など、その地域に対して多様な関わりを持つ人がいることによって、そのコミュニティが持続可能になる素地が生まれてくる。もっといえば、現状利用型は、動き回り型やジャンプ型を利用しながら、適宜外部との情報を収集し、それらをもとにコミュニティにおける調整に活かすことができ、互いの強みを活かした活動に生きてくる。よく、地域活性などの文脈で、その土地にいないとなにもできないと指摘する声もあるが、そうではない。この理論をもとにしたときに、関わり方や立場の違いによって、そのコミュニティ内部に対してどのような役割と価値を提供するかの違いでもある。その地に長らく住むからこそできること、いくつもの地域を渡り歩くことによって得られる様々な情報や外部のノウハウ、知識をその地域に提供するかの違いでしかない。そこには、優劣ではなく、役割の違いがあることを認識したとき、自分自身がコミュニティに対してどのような役割として関わることができるのかを、改めて考えるきっかけとなるだろう。

また、ここで言われている考え方は、企業において置き換えると、組織内部におけるイノベーションなど、組織づくりにおいても同様のことがいえる。つまり、「コミュニティ」と広く捉えたとき、そこには、団地コミュニティや地域コミュニティといったものだけでなく、企業、団体、NPO、任意団体などにも当てはまる。そうしたとき、組織内部における均一性を高めることによって一定の成果や売上を上げることができた時代と違い、現代のような多様化した社会において、様々な立場の考えや振る舞いをする人材を内部に取り入れたり、外部接続性を考えることによって、企業におけるイノベーション創発を生み出すきっかけにもなる概念であるはずだ。

終わりに:「自分たち事」を生み出すために

市民の自発的なパブリックマインドにもとづいた優れた取り組みの多くは、優れたコミュニケーションのデザインが行われている。場所の運営、人々への問いかけ方、魅力のつくり方など、心地よいコミュニケーションを通じた交流によって、新しい関係を生み出そうとしている。そこには、人と人との新たなネットワークが生まれるきっかけとなる。

コミュニティ・キャピタルを生み出すきっかけは、その土地の文化や歴史、風土など、都市の文化資源などによって生み出すことができる。文化的な共通点があることにより、文化を守るだけでなく、新たに文化を生み出そうとする姿勢や意識をもつことによって、新たな価値提案がでてきてくる。

冒頭に、シビックプライドはシティプロモーションの一貫として捉えられると言及したが、その枠を超え、コミュニティにおけるつながりを生み出すこれらの歴史や文化資源を再構築し、コミュニティ内の刷り込みを高めることによって、その地域の「らしさ」を取り戻すことができる。そして、この地域の持続可能なネットワークづくりを生み出すものこそ、本質的なシビックと呼べるものではないだろうか。そのためには、閉ざされたコミュニティから脱却し、拡張されたコミュニティを作り出し、そこから生まれる市民経済圏のあり方について向き合うことで、地域の持続可能なあり方について考えることができる。

こうした人とのつながりやコミュニティのあり方について、情報デザインの先駆者である渡辺保史氏は、自分自身にとっての特有な関心や問題などの「自分事」でも、自分に無関係で何も利害も発生しない問題や出来事だと認識する「他人事」でもなく、自分と自分以外の他人との間に認識されたり、共有されたり、創造されたりするモノ・コトを「自分たち事」と定義している。つまり、「自分たち事」とは、人と人との新たなつながりで生み出されていくモノ・コトであり、コミュニティに帰属する人々の間で直面しているテーマ、解決すべき問題、作り出したいビジョンであり、その「自分たち事」を生み出す場所としての「コミュニティ」のあり方が問われていると彼は指摘する。

「自分たち事」をどうデザインしていくか。自分事ではなく、他者と共通しながら、互いにその問題や大きな方向性に対してそれぞれがそれぞれなりに考え、行動し、そして時には互いに支え合いながら活動していく。「自分たち事」とは、世代や職業、趣味や趣向の分かれた多層的なコミュニティの結節点を見出し、新たなつながりを作り出すためのキーワードであり、コミュニティにおける刷り込みの結果生まれる考え方であり、コミュニティ内で自発的に行動する人を生み出すキーワードであるといえる。

様々なコミュニケーションツールがある現代において、その土地に住む「定住人口」だけでなく、そこを行き交う「交流人口」、そして昨今ではゆるやかに地域と関わる「関係人口」と呼ばれる土地とのかかわりを持った人たちを呼ぶことも増えてきた。こうした様々な立場の人たちが地域に関わる考え方をより持続的な地域であるために整理すると、いかにして「自分たち事」を持ちながら違った立場の人たちが関わるかとも言いかえることができる。その根底には、これまで説明してきたコミュニティ・キャピタルが実は存在し、互いにおける刷り込みや同一尺度の信頼がありながら、多様な行動様式をもとにしながら重層的な役割とともに外部接続性を高めたネットワークを作り出すかといえる。この「自分たち事」を持っている特定のコミュニティこそ、まさにコミュニティ・キャピタルを保有するネットワークであり、そこに関わる関わり方の方法や、ネットワークにおける役割の違いにも理解が及びやすい。例えるならば、こうした図式であろう。

筆者作成

筆者作成

筆者は、この「自分たち事」を持つ、コミュニティ・キャピタルのある集団を「活動人口」と捉えなおした。この活動人口は、定住人口、交流人口、関係人口のそれぞれを横断することができる。もっといえば、定住人口は現状利用型、交流人口は動き回り型、関係人口はジャンプ型とそれぞれに捉え直すこともできるし、地域ではなく個々の小さなコミュニティにおいては、また違った役割に変化するかもしれない。つまり、一人の人間であっても、あるときには現状利用型、あるときには動き回り型、ジャンプ型、といった形で役割を変えながらコミュニティに所属することもあるだろう。

ここでは「コミュニティ」そのものが現実的な空間軸を拡張させることによって、かつての「市民」という言葉そのものを、それと平行して意味を拡張させていくことができるはずだ。グローバルに広がる時代において、特定の地域にのみ生活するのではなく、一人の人間が複層的な関わりのなかにおいて、「自分たち事」をもって自発的に行動したり、自発的に行動する誰かを応援したりする者、自分たち事として地域と向き合い、行動する人たちこそが、これから時代の「市民」であると取られ直すことができるのでははないだろうか。そこにある経済的、社会的な関係資本の再設計こそ、持続可能な地域に向けた考え方だと私は考えている。

わたしたちは常に社会の一員であると同時に、その地域の一員であり、都市の一員であり、いくつものコミュニティの一員である。そうした実感をいかに持てているのだろうか。人がまちをつくり、まちが人を育てる。自分たちの手で、多様性があり、助け合い、支え合い、楽しみあう地域にしていく。そうした考えが、シビックエコノミーの根幹には必要だ。まちを思う気持ちを、自分ごとでも他人事でもなく、いかに「自分たち」事としていくか。地域における共同体のあり方が変わってきているなか、コミュニティにおけるモノ・コトを「自分たち事」として捉え、地域の循環を考えること、そこにある人的、共同体的、社会的資源の循環による、持続的なあり方と向き合っていく。そこにある新たな「市民性」の醸成こそ、シビックエコノミーの先にある当事者性の再構築であり、新たな経済圏の確立に向けた絶え間ない活動である。

【参考文献】
・伊藤香織・読売広告社都市生活研究局(2008)『シビックプライド 都市のコミュニケーションをデザインする』宣伝会議
・伊藤香織・紫牟田伸子監修、シビックプライド研究会編著(2015)『シビックプライド2【国内編】 都市と市民のかかわりをデザインする』宣伝会議
・紫牟田伸子+フィルムアート社編(2016)『日本のシビックエコノミー 私たちが小さな経済を生み出す方法』フィルムアート社
・西口敏宏・辻田素子(2017)『コミュニティ・キャピタル論 近江商人、温州企業、トヨタ、長期繁栄の秘密』光文社新書
・渡辺保史(2018)『Designing Ours 「自分たち事」のデザイン』Designing Ours出版世話人会
・00(2011)Compendium for the Civic Economy: What Our Cities, Towns and Neighborhoods Can Learn from 25 Trailblazers.(石原薫訳『シビックエコノミー:世界に学ぶ小さな経済のつくり方』フィルムアート社、2014年)