『TOmagazine』墨田区特集にて執筆した記事が、TOwebに転載されました

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ハイパーローカルな東京を掘っていく『TOmagazine』墨田区特集にて執筆した記事が、一年を経てTOwebに転載された。

東京イチの危険地帯墨田区から考える東京の災害(前編)
東京イチの危険地帯墨田区から考える東京の災害(後編)

前編は、墨田の木造密集地域の背景にある関東大震災や、そこから東京を再構築しようと取り組んだ後藤新平の帝都復興計画について触れている。結果として、後藤の帝都復興計画は頓挫したものの、その計画の一部は都内にいくつも点在している。歴史にifがあれば、この帝都復興計画が完全に実現した東京は、今とは違った姿形をしていたのかもしれない。

後編では、墨田区が取り組む防災関連の活動などをフォーカスしている。危険地域と言われているからこそ、都内でも防災意識の高い地域である墨田区。その取り組みから私たちが学ぶべきものは多い。

雑誌がでたのは2015年1月頃。取材は2014年の秋から年末にかけて行った。ちょうど東日本大震災から4年目が経つ頃で、震災への風化とともに次第にあらゆるものが日常化していこうとする空気感がその頃はあった。五輪の国立競技場問題などで議論されていただけでなく、東京直下型地震が起きる可能性も潜んでいるのが、今の東京でもある。

2016年4月に発生した熊本地震など、あらゆるところで「想定外」は私たちの身近なところで存在している。

東京直下型の地震は、すでに「待ったなし」の時代に入っているかもしれない。その中でも墨田区は、軟弱な地盤の上に木造密集市街地(モクミツ)が広がり、地震と火災に対して多くの弱点を抱えている。いくつもの川にも囲まれているため、堤防が決壊すれば二次災害の可能性もある。そのため、墨田区も地域住民も、これまでに様々な防災活動を行ってきた。

しかし活動の担い手も次第に高齢化し、新しく墨田区に移り住む新住民の人口比率が増えつつある中で、地域の特性や災害への備えの意識の継承が、果たして十分なされているかどうか気になる。

向島の木造密集市街地の路地や、小さな民家や古い工場の立ち並ぶ風景は、暮らしの舞台としてはとても魅力的だ。それに惹かれて移り住む若い人が増えたことはとても嬉しい反面、アートプロジェクトなどにおいて、モクミツの魅力を少々強調しすぎているのかもしれない。モクミツがもつ一側面だけを見るのではなく、その歴史や背景などをきちんと踏まえる必要がある。

防災の基本はハードの整備や充実だけではなく、地域の人々の普段からのつながりである。希薄になりつつあるコミュニティをどう築いていくかを、私達も改めて考える必要があるだろう。

具体的な防災対応や、あるいは実際に地震が起きてしまった後の対応を考える「罹災教育」(そんな言葉があればだが)のような、ポスト3.11を踏まえた新たなプログラムが必要になってきたのかもしれない。

誰しも悪いことはなるべく考えたくはない。しかし、それをあらかじめ考えるのが、防災の第一歩なのだから。