2018年となりました。新年あけましておめでとうございます。
2017年は、自分自身の振る舞い方、あり方を見直す一年だったように思えます。昨年にやり残したこと、やりたかったけどできなかったことを整理しつつ、2018年を充実した一年にしていきたいと思います。
一日は24時間、365日。すべての人にとって等しく与えられたものであり、前の世代、そして次の世代へと脈々と続いていく。人生は有限であり、人と人が織りなす歴史の糸を紡ぎながら、自分自身のなすべきことを全うしていきたいと、年始の節目に改めて思った次第です。
正月ということで、もちろん初詣に参りました。ところで、実家に居たときに、初詣は一つの大イベントでした。というのも、一箇所ではなく、複数の神社を巡らなければいけないからです。
小さい頃は「面倒だな」と思うばかりで、正直言って、初詣よりも家でゆくゆくしながらテレビを見ていたいと思うばかりでした。それは、今思うと「三社参り」というものだったことに気が付きます。
三社参りとは、先祖代々の守護神である氏神様、出生地の守り神の産土神様、現在住んでいる地域の守護神の鎮守神様。その3つの神様に挨拶をするために3つの神社に詣でるというものです。
さて、私が東京に出てきたちょうど10年が経ち、人生も30年も生きてきたなかで、最近では、日常的に神社に参ることが当たり前になってきました。地方に出張する際には、その地域の神社にお参りもするようになりました。その土地に根を生やし、その土地を見守る神様に対し、普段の自分を律し、周囲への感謝の気持ちを述べる。
そこで、今年の初詣では「三社参り」のように、いくつかの神社を詣でようと決めました。ただ出生地の神社に参ることは難しいため、近所にある神社や鎮守神など、普段の活動エリアにある神社に詣でるものにしました。いま住んでいるエリアもそこまで長期間住んでる地域ではないものの、こうした時代だからこそ、自分の足元、自分の住んでいる地域のことを知り、挨拶することが、自然にそうしたほうがよいものだと考えるようになりました。
なぜ、そういう気持ちになったかというとなんともいえませんが、そういうものだとしておきましょう。ただ、正月の初詣だけ参るのには意味ありません。定期的に通うことが大事です。そこには、自分自身を定期的に振り返りながら、自分と向き合う時間としても大切なのではないか、と思います。
2018年は、自分の行動、自分の振る舞い一つ一つを丁寧にしていきながら、日々を大切に過ごしていこう。自分のこと、身近な友人のこと、そして世の中のこと。すべては円環としてつながっている。あらゆるものに目を向け、自分が成せることから少しづつ着実に丁寧に取り組んでいこう。神は細部に宿るからこそ、日々の所作を丁寧にすることから、大事を成し遂げられるのではないだろうか。